久多美神社

出雲市東郷町(平成24年9月2日)

東経132度49分23.82秒、北緯35度27分07.42秒に鎮座。

 この神社はさくら小学校の西、東福町と東郷町の境に鎮座しています。
 道路の正面に山に抱かれたような感じで鳥居が建立され石段を上がっていくと下と上の二段構えの境内が造られています。下の境内には社務所、上の境内には正面に横長の拝殿、拝殿と軒を連ねて神楽殿、その奥に大社造りの本殿が建立されています。そして本殿左右に沢山の境内社が祀られています。
 非常に丁寧な由緒書きが有り、神社内の様子や境内社を詳しく知ることが出来ました。

御祭神:正哉吾勝々速日天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命
祭礼日:体育の日(10月第二月曜日)の前日
境内社:三女神社(多紀理姫命、市杵島姫命、多岐津姫命)、牧戸天満宮(菅原道真公)、能登神社(大国主命、大己貴命、神功皇后、応神天皇、武内宿禰、稲倉魂命)、東郷天満宮(菅原道真公)、金毘羅神社(大物主命)、福富神社(恵比寿・大黒、稲倉御魂)、稲荷神社
由緒:出雲風土記には久多美神社の記述が三社あり、その一つは久多見町寺床にある大国主命を祀る社で、他の二社は久多見町埋女にあった三女~を祀る埋女社と久多見町池田に五男~を祀る池田社である。
 久多美神社は、池田社の分霊を奉遷した神社であり、境内の三女~社は埋女社の分霊を遷した社である。その時期は神職家の初代常松左右衛門藤原秀就が、永保元年(1081)3月に現在地に移り、東郷三河守から久多見神社ほか三十三社の弊職を拝命し、二丁五反の領地を戴いたことから、永保(1081〜1084)年間に創建し、同時に三女~を祀ったものと考えられる。
 池田の地より遠隔地に奉遷したことから、飛びはなれた地に遷られた「飛田大明神」と申したが、寛文2年(1662)松平藩公が当地へ狩に来られた際、神社の由来を尋ね、「飛田」を「富田」に改めさせられた。これ以後は「富田大明神」と称した。
 明治3年「久多見神社」と改称し、大正2年に遷宮し許可を得て「久多美神社」と称した。神社の位置は、東福町540番地と東郷町185番地にまたがって建てられているが、東福町(福村)と東郷町及び上岡田町は同じ祭神を祀る氏子でありながら、祭礼の日取りも異なっていた。しかし久多美神社に改称したことを期に同一氏子となり、例大祭を毎年10が地10日に行ない、各町内から獅子舞、剣舞及び神事華が奉納された。現在は例大祭を国民の祝日「体育の日」(10月第二月曜日)の前日としている。
 昭和55年10月に遷宮を行ない、檜皮葺であった本殿を銅板葺とし、同時に弊殿の屋根改修と拝殿の新築を行った。その後昭和62年3月に社務所を新築した。

神社遠景
神社入口
入口に立つ一の明神鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
参道途中にいる出雲狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和35年(1960)3月建立)
下の境内へと上がる石段参道
下の境内の様子
上の境内へと続く石段参道
上の境内の様子
非常に横に広い拝殿
拝殿に掛かる額 大社造りの本殿
拝殿と棟続きの神楽殿

社殿脇向かって左側に祀られている三女神社入口
三女神社を護る出雲構え獅子・其の一
狛犬の拡大写真はこちらで
三女神社を護る出雲狛犬・其の二
狛犬の拡大写真はこちらで
三女神社を護る可愛い出雲狛犬・其の三
三女神社社殿
社殿脇向かって右側に祀られている境内社群全景
境内社:能登神社 境内社:天満宮
境内社:金毘羅神社 境内社:福富神社
境内社:稲荷神社 境内社:三方荒神と奥に稲荷神社(これだけ社殿左側)