日御碕神社

出雲市大社町日御碕455(平成17年11月25日)

 この神社は出雲市の北西、日本海に突き出た日御碕の突端近くに鎮座しています。出雲国風土記では「美佐岐社」と呼ばれ、平安時代の書物「延喜式」では「御碕神社」と書かれた式内社で、旧国幣小社です。

 鳥居をくぐり参道を進むと、鮮やかな朱の神門が建ち、神門内にはかなり古く、当初は力強く逞しかったであろう神殿狛犬がいます。神門をくぐると、正面に天照大神とその息子達である五神を祀る下ノ本社「日沈宮」。右手階段の上に、素盞嗚尊とその娘達である三女神を祀る上ノ本社「神の宮」が鎮座しています。この時は丁度日沈宮の改修中で、日沈宮の御祭神・天照大神等六柱の神は、神の宮に遷座しておられました。
 「神の宮」は、神代以来現社地背後の「隠ヶ丘」に鎮座していました。安寧天皇13年(BC536)に現社地に遷座。素盞鳴尊は出雲の国造営後に「熊成峯」に登り、終生鎮まる地を求めて柏葉を風で占うと社殿背後の「隠ケ丘」に柏葉が止まったために、御子神である天葺根命は素戔嗚尊の御魂をこの地で奉斎したといわれています。以後、日御碕は素戔嗚尊の神魂の鎮まる霊地、根の国の根源として篤く遇されてきたのです。
 「日沈宮」(ひしずみのみや、しずみの漢字は由緒書きを参照)は、神代以来現社地にほど近い「経島」に鎮座していましたが、村上天皇天暦2年(948)に現社地に遷座しました。素戔嗚尊の御子神である天葺根命が清江の浜に居られたときに島上の松が輝き「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮まりて天下の人民を惠まん。汝速やかに吾を祀れ」と天照大神の御神託を賜ったことに始まるといいます。
のちに「神の宮」と「日沈宮」両宮で、日御碕大神宮と称されました。

 現在の社殿は、桃山時代の面影を残す精巧な権現造りで、寛永21年(1644)幕命を受けた松江藩により造営されたものです。その他楼門や回廊を含む14棟が、国の重要文化財に指定されています。

 また旧暦1月5日の和布刈(めかり)神事は、宇竜浦の権現島にある末社・熊野権現で執り行われ、これは、ウミネコがワカメを社殿に運び神職が供献したという故事によるもので、この神事の後ワカメ取りが始まということです。

神社入り口
社号標

朱の色も鮮やかな神門
神門内の神殿狛犬。阿吽が反対で双方角付きです。
力強く逞しい狛犬ですが、傷みが激しいようです。
入り口すぐの境内社二社
改修中の下ノ本社「日沈宮」拝殿 改修中の下ノ本社「日沈宮」本殿
上ノ本社「神の宮」拝殿
上ノ本社「神の宮」本殿
境内社・稲荷神社入り口 境内社・稲荷神社社殿
境内社・稲荷神社前の神狐さん、その一。
境内社・稲荷神社前の神狐さん、その二。
境内社・稲荷神社前の神狐さん、その三。
出雲にもいました。狐のはじめちゃんです。
いったん首が取れていますが、修復されたようです。
素朴で可愛い子達です。
日本全国、探せばこういう可愛い子達が、まだまだいるのでしょうね〜。
ワクワクしてきます。
神狐さん、その四は新しいので省略…だそうです。
末社群
校倉造りの宝物庫? 境内社
境外社・蛭子社  蛭子社の軒下に彫られた波乗りウサギさん
海辺に向かって建つ鳥居 日御碕港と経島
日御碕港 神代以来「日沈宮」が鎮座していた
といわれる経島

和布刈(めかり)神事が執り行われる、宇竜浦・権現島にある末社・熊野権現入り口。

 出雲市内に出雲大社の境外摂社で、上の宮があり御祭神は素戔鳴尊。その隣に下の宮があり御祭神は皇室の御先祖神、天照大御神です。ここ日御碕神社でも素戔鳴尊は天照大御神を祀った「日沈宮」より高い所にある「神の宮」に祀られていて、天照大御神を見下ろしています。どう見ても弟、素戔鳴尊の方が姉の天照大御神より御神格が上のようです。
 そこで勝手な想像ですが、「日沈宮」のもとの社地と伝えられる「経島」。出雲大社から見て夏至の太陽が沈むという、日の神が降りたもうこの地は、それ故「日沈宮」と呼ばれたのでしょう。そして、恐らくその日の神は天照大御神では無かったのではないでしょうか。そしていつの頃からか天皇家の皇祖神たる天照大御神と見なされるようになったのではないでしょうか。ひょとすると明治政府のせいかも。

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