浜田市宇野町1867-1 (平成29年7月27日)
東経132度09分01.59秒、北緯34度55分13.54秒に鎮座。
この神社は、山陰道・浜田東ICの南南東600m程の辺り、宇野町の街外れに鎮座しております。
御祭神 熊野久須那比神・花園宮
由緒
南朝の忠臣三隅兼連公の妹、やなぐいの局等は後醍醐天皇の皇孫を土佐から石見に伴ひ帰って當地にて保育申し上げた。石見の人々は此の皇孫を花園宮と申し上げた。宮は正平7年(1352)1月大和の賀名生に遷られ、京都にて後村上天皇に御目見えになり、石見宮の称号を賜ったが、南北朝の争いの為に13歳の頃、若櫻の花と散られた。
當時宮中では熊野大社の信仰厚かった故にて、御保育申し上げた人々は熊野久須那比神と共に花園宮を併せ祀ったのが、當社であると伝承されている。
昭和63年(1988)7月の大洪水に依り、下府川改修工事のため、歴史的な社地を分断され止むなく大尾谷の魂の森を造成して、社殿其の他一切の建造物を新築造営するに至ったものである。
境内由緒書き より。
神社入口
入口左右の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
境内
拝殿
拝殿前の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(皇紀2600年 昭和15年(1940)建立) |
拝殿内部
本殿