兵主大社

野洲市五条566 (令和元年11月9日)

東経136度00分47.72秒、北緯35度06分43.23秒に鎮座。

この神社は、JR東海道本線・野洲駅の北5km程の辺り、五条の街中に鎮座しております。

御祭神 八千矛神

由緒
社伝「兵主大明神縁起」によれば、景行天皇58年、天皇は皇子・稲背入彦命に命じて大和国穴師(奈良県桜井市、現・穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬した。近江国・高穴穂宮への遷都に伴い、稲背入彦命は宮に近い穴太(滋賀県大津市穴太)に社地を定め、遷座した。欽明天皇の時代、播磨別らが琵琶湖を渡って東に移住する際、再び遷座して養老2年(718年)、現在地に社殿を造営し鎮座したと伝え、以降、播磨別の子孫が神職を世襲している。また、中国の八神信仰に由来する兵主の神を渡来人が祀り、但馬国を中心に広まったともいう。
延喜式神名帳では名神大社に列し、治承4年(1180年)には正一位勲八等兵主大神宮の勅額が贈られている。
中世には、「兵主」を「つわものぬし」と読むことより、武士の厚い信仰を得た。源頼朝による神宝の寄進の他、社伝によると足利尊氏による楼門の造営があったという。また、江戸時代には、徳川将軍家から社領の寄進を受け、厚い保護を受けた。
明治時代に入ると県社に列せられた。
平安時代後期に作庭されたといわれている庭園は、国の名勝に指定されている。
ウィキペディアより。

境内由緒書きはこちら。

境内の南300m程の辺りに立つ一の鳥居

二の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治44年(1911)7月建立)

楼門

手水舎

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

本殿正面

本殿左右の脇社


旧護摩堂

旧護摩堂内の陶器製狛犬

末社