高島市新旭町饗庭3363 (令和6年10月17日)
東経136度01分26.66秒、北緯35度22分56.18秒に鎮座。
この神社は、JR湖西線・饗庭駅の北西1.2km程の辺り、饗庭の街外れに鎮座しております。
御祭神 波爾山比売命・弥都波乃売命
由緒
祭神は波爾山比売命、 弥都波乃売命で式内社である。かつては対岸の坂田郡都久麻神社より筑摩御饌が供せられ、木津の丑祭と称し、庄内の新婚者により湖中の神輿渡御が行われた。本殿は江戸時代前期の町内最古の建物である。境内には古墳があり、境内からは水の祭礼に使われた土馬が出土した。また湖東流紋岩を産出することでも有名である。
境内由緒書き より。
明細書に創祀年代不詳であるが、口碑によると往古より弥都波乃売命を祀っていたが、天平13年に阿波国勝浦郡建島女祖命神社より波爾山比売命を勧請したと伝えられ、饗庭の庄の総社であり、延喜式内波尒布神社これなりとされる。聖武天皇の御宇井出左大臣橘諸兄の官田であった時、天平13年神輿1基、神供田2町歩(今に御厨田の小字を残す)を寄附され、後醍醐天王の元弘年度に至るまで当郡北部の大社として隆盛を極めた。しかし、元亀天正の兵乱により神田を掠略され、200余年間修理する者無く、社殿等は腐朽し、社頭は衰微した。元和10年後土御門天皇の聖旨をもって社殿が再建された。明治9年郷社に列せられた。同26年内務省より保存資金を下附され、同41年神饌幣帛料供進神社に指定された。
志賀県神社庁公式サイト より。
参道と社号標
参道に架かる神橋
鳥居
拝殿
本殿
本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和5年(1930)4月建立)
熊野神社
邇岐志神社
みたらしの池
森為村落馬石