新羅善神堂

大津市山上町(平成15年8月5日)

 園城寺開祖の智証大師円珍が唐から帰朝の時、船中にあらわれ、新羅の国神を祀ったと言う。
又、源頼義の三男がここで元服した為、新羅三郎義光と名乗った。
因みに長男は石清水八幡で元服した為、八幡太郎義家と名乗った。
御祭神の新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、元園城寺の境内社で有ったのだが、明治に分離させられたのでしょうか。

観光客ゼロ、静寂な空間です。

この建物は貞和年間(1345−50)
に足利尊氏が寄進したとされ、
三間流造で檜皮葺の国宝である

堂と名が付いているが、寺院建築でなく純和風の神社建築。
これも後で解ったことだが、近江には、
この種の三間社流造の古建築がとても多い。

我々は新羅と書いて、しらぎ と読んでいたが、どうも(しんら)が正しいようだ(しらぎ)には新羅の奴と言った蔑称らしい。天智朝に仕えた百済人の敵意がそうさせたのか。因みに百済は韓国語では(ぱくちぇ)と言うらしい。(くだら)は(くんなら)が訛ったとの説が有る。くんならは大いなると言った意味らしい。 最近放送大学を聞いていたら「しんら」、「ひゃくさい」と発音していました。