思古渕大明神

大津市葛川坂下町(平成15年8月6日)

 地元の人に聞いても誰も知らず、わざわざおばーちゃんをよんで
聞いてくれてやっとたどり着きました。そのおばーちゃんが不思議そうな顔をしていた意味が解りました。確かに地元の人もまず参拝しない様な神社でありました。
 地域開拓の祖神、思志淵大明神を祀る。

 むかし、京都の北、山城の国久多庄に志古淵さんというイカダ乗りの名人がいました。志古淵さんの住む久多は、山と山に囲まれた小さな村でしたが、山々は良質の木材が育ち、そこで焼かれた炭は町でも高く売れました。 また、村の中心を流れる久多川は、近江の国まで材木をイカダで運ぶのに都合が良く、自然の条件をうまく利用し、幸せに暮らしていました。 
 ある日、志古淵さんはイカダに子供を乗せ、いつものように朽木まで材木を運んでいました。ちょうど葛川の奥山まで差し掛かったころです。さっきまでイカダの上で遊んでいた子供の姿が見えません。 イカダには木のおもちゃが一つ転がっているだけです。大変な事になったのです。志古淵さんは急いでイカダを横にし、川の水を堰き止めました。 
 というのも、この辺りはガワラ(河童)の川太郎の住みかで、ここを通る者に悪さばかりしているのです。イカダ乗り達を困らせている川筋一の難所なのです。 
 さて、志古淵さんが堰き止めた川は、見る見るうちに水が引き、川底から大きな岩が現れだしました。よく見てみると大きな岩にはウラ(穴)があり、子供を脇にかかえたガワラが隠れていたのです。
 しかし、水の無くなった川では、さすがのガワラもイタズラする気力もありません。子供を返し、すぐに命乞いを始めたのです。
 それを見て、心の優しい志古淵さんは、『助けてやるがこれからはすげ笠をかぶり、蓑(みの)をつけ、足にガマのはばき、こぶしの竿を持ったイカダ乗りにはいたずらをしないように』と約束させたのです。
  それからというものは、ガワラのイタズラも無くなり、この川筋一の難所と言われた奥山も、みんなが安心して暮らせるようになりました。イカダ乗り達の服装は、この時から決まりました。
  いまも志古淵さんはイカダ乗りの神様と敬われ、久多地域の氏神として志古淵神社に奉られています。 
              (久多の民話 洛北の里ガイドより)
 この民話のなかから、志古淵神社の性格と由来、久多の里のおかれている位置がよくわかるのではないでしょうか。



明神鳥居、神社入口

可愛い社殿