大津市南志賀(平成15年8月5日)
字は違うが天智天皇の皇太子は大友皇子、この大津の地は大伴(友)
氏のものであったのではないか。
大友皇子の母は伊賀釆女宅子娘とされ、伊賀の豪族の女とあるが、
大海人皇子が伊賀で挙兵している点も考えると大友皇子の母はここ
近江の出が自然だ。
故に大友皇子と呼ばれたのではないか....と考え乍ら、拝殿を
眺めていたら、寄付金の芳名帳に大伴の名が結構沢山あった。
聞くとこのあたりには大伴の名前は珍しくないとの事。
関係があるか知らないが大伴旅人の歌
・験無きものを念はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし(338)
・酒の名を聖とおほせしいにしへの大き聖の言のよろしき(339)
(古代魏の時代 に酒が禁じられていたので、隠語で酒を聖人と言った)
・古の七の賢しき人どもも欲りせしものは酒にしあるらし(340)
・賢しみと物といふよりは酒のみて酔ひ泣きするしまさりたるらし(341)
・いはむ術せむすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし(342)
・なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染嘗(しみなむ)(343)
・あな醜賢(みにくさか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似る
(344)
・価無き宝といふとも一杯の濁れる酒にあにまさめやも(345)
・夜光る玉といふとも酒飲みて情をやるにあにしかめやも(346)
・世間(よのなか)の遊びの道にたのしきは酔ひ泣きするにあるべかるらし
(347)
・この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥には吾はなりなむ(348)
・生ける者遂にも死ぬるものにあれば今あるほどは楽しくをあらな(349)
・黙然(もだ)居りて賢しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほしかずけり
(350)
神社への階段
拝殿から本殿
本殿
火の鳥の猿田彦鼻の京尾付狛犬、耳の下のお花模様がお洒落