還来(もどろき)神社

大津市伊香立途中町(平成15年8月6日)

 藤原百川の娘・旅子の霊をまつる。旅子はこの地に生まれ、
のち桓武天皇の夫人となる。彼女の死後、その遺言によって
生まれ故郷の梛(なぎ)の木の下に埋葬された。
 同社には神木椰の古木が残る。社名も彼女が再び故郷に還って
来たことに由来すると云う。

本殿の周りに水路を巡らしている

 その後、約400年を経た平治元年(1159)平治の乱に敗れた源義朝は、
東国へ逃れる途中で同社に立ち寄り、白羽の鏑矢を献じて武運長久を祈った。
 義朝は尾張国(愛知県)で殺害されたが、その子頼朝は鎌倉幕府を開き、
父の遺志を継いで京都へ登る(還り来る)ことが出来たのである。

 以来、戦乱や旅行に無事故郷に還られるようにと祈願する参詣者が絶えず、
現在も5月5日の例祭には、当社に参詣し無事帰郷できた人たちが崇敬者
として参列しているそうです。

しかし藤原旅子は藤原京での藤原種継暗殺事件に連座し乙訓寺に幽閉され、その後
自ら食を断って死んだ、早良親王の怨霊に祟られて死んだ筈です。
頼み甲斐の無い神の様な気がしませんか?。
因みにその後、旅子の死を皮切りに、妃の一人多治比真宗、そして翌年には
生母である高野新笠、そして更に翌年には皇后藤原乙牟漏(百川の姪)、
妃の坂上又子を亡くすのです。
 桓武天皇が早良親王の怨霊を畏れた筈です。

神社入口

少し目が出ていて請け口の京尾太狛犬

両部鳥居と境内

神楽殿と境内

二の明神鳥居

社殿

来る者を居丈高に威嚇する京尾立狛犬