長浜八幡宮

長浜市宮前町13-55 (令和2年10月19日)

東経136度16分37.79秒、北緯35度22分46.12秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・長浜駅の東北東1km程の辺り、宮前町の街中に鎮座しております。

御祭神 足仲彦尊(仲哀天皇)・誉田別尊(應神天皇)・息長足姫尊(神功皇后)

由緒
当宮は延久元年(1069)源義家が後三条天皇の勅願を奉じて京都の石清水八幡宮から御分霊を迎えて奉祀したもので、往昔は坂田八幡宮或は坂田別宮八幡宮、又は勝軍山新放生寺八幡宮とも称した。この宮が鎮座されてからこの地を八幡の庄と称へ、庄内11郷の産土神として崇敬深く、皇室を始め武将の尊崇更に厚く、特に後奈良天皇は天文5年(1536)天下乱麻の世を嘆かせ給い、天下泰平祈願のため、御綸旨を賜う。又足利6代将軍義教は三層塔を建立し、太刀神馬を奉納、湖北の浅井氏も社領太刀神馬を寄進している。当時は社領3000石・一山73坊があり堂塔伽藍は壮観を極めた。8月15日の放生会には坂田・東浅井2郡の士族が出仕して神輿の供奉をつとめたが元亀(1570〜1572)・天正(1573〜1591)の頃、しばしば兵火に罹り殆んど焼失した。天正2年(1574)羽柴秀吉が長浜城主となるやこの大社の荒廃を惜しみ社殿の修理をなし、社領170石を奉納する等再興に務めた。以後徐々に壮観を復し妙覚院、舎那院を始め20余坊が神社の周囲に在って神事を掌っていたが、明治維新の神佛分離により佛像什宝等は今の舎那院に移し以来本社は神官による奉仕となった。
境内由緒書き より。

滋賀県神社庁公式サイトはこちら。

参道入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和11年(1936)3月建立)

参道

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

本殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和53年(1978)戊午4月15日建立)

本殿


都久夫須麻神社鳥居

都久夫須麻神社社殿


天満宮

天満宮内部


地主神社 熊野神社

河濯神社・金刀比羅宮

稲荷神社

御輿庫