乎彌(おみ)神社

長浜市余呉町下余呉2053 (令和2年10月16日)

東経136度12分26.27秒、北緯35度31分45.43秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・余呉駅の東南東600m程の辺り、余呉町下余呉の街外れに鎮座しております。

御祭神 巨知人命・海津見命・梨津臣命

由緒
当社の創建は悠久の上代で、その年代詳らかならずと雖も、往昔この地に繁栄せし天之児屋根命一世の孫巨知人命の後裔が、同命を祖神として祀り、後又巨知人命の御子、梨津臣命が威徳優れ、この地の開発に努められた。恵澤を憶ってこれを別殿に奉祀した。これ当社の始めである。
巨知人命を奉祀せし社を「乎彌神社」と奉称し、梨津臣命を奉祀せし社を「乃彌神社」と奉称し、両社とも延喜の制による式内神社である。
而して中古、下余呉の郷は、北組南組の二組に別れ、北組は乎彌神社を、南組は乃彌神社を奉斉して来たが、賤ヶ岳合戦の兵火の為め両社の社殿悉く焼失したるが故に仮の一社殿を築造して両祭神を合祀し奉斉したが、降って寛延2年(1749)1月、両組相議って、更に規模広大なる一社殿を再築し、両祭神を合祀し父神を祀り来た乎彌神社を以て社名となし、両組ともその氏子として相和して今日に至っている。
当社は余呉湖尻の水の流れる要所たる故にか、承応年間(17世紀)に海神、海津見命をも合祀したのである。
「村草神社」(祭神・天照皇大神)は江土区の守護神であり、「八幡神社」(祭神・誉田別尊)は、北組の守護神であった。「大名持神社」(祭神・大名持命、少彦名命)は、当社の近傍に鎮座ありしと謂われ、「塞神社」(祭神・八衢比古神、八衢比女神、久那土神)は本郷区の中央の広場、「みちのした」と称する地に鎮座されたのである。
以上四社の合併祭も、当社に於ける恒例1月8日の合併記念祭に神名を称えて祭祀されるのである。
境内由緒書き より。

滋賀県神社庁公式サイト より。

神社入口

鳥居と社号標

境内

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正8年(1919)9月建立)

拝殿

中門

中門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)5月建立)

本殿

左右の脇社