日吉神社

長浜市国友町488 (令和2年10月19日)

東経136度17分08.24秒、北緯35度24分27.15秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・虎姫駅の南東3km程の辺り、国友町の街中に鎮座しております。

御祭神 大山咋神・香山戸命・羽山戸命

由緒
本神社草創の年代不詳であるが、社蔵の古文書によれば寛和以前の古社と伝えられる。国友郷は平安朝時代より延暦寺領となり、日吉上七社の一つである十禅師社を奉祀した。皇族、武将の崇敬篤く、応永十八年妙法院宮二品堯仁親王の願により、僧玄全が大般若経六百巻を手写して当社に奉納。これより先に、足利義詮この地を近江守護京極氏に賞与して以来、京極氏の崇敬特に篤く、六世孫大膳太夫持清は神田一町ニ反余を寄進し、その臣今井備中守遠俊も毎年供米二石を寄進したとある。天正二年領主羽柴秀吉も旧社領十石の領有を認めている。また国友は将軍足利義晴が鉄砲を製作させて以来鉄砲ゆかりの地であるが、特に徳川氏が江戸幕府を開いて以後、鉄砲鍛治は製砲に忙殺されたため、幕府は社領保護供進のこともあって全村の課役を免じている。この頃諸国大名の往来もはげしく村内は繁華を極め、社頭ますます隆盛となった。文政十一年領主松平甲斐守保興は当社に金銅灯籠一対を奉献。元文五年後西院天皇の皇女宝鏡寺宮理豊内親王は、社号十禅師権現の額字を下賜され、光格天皇の侍医三角有裕は嘉永五年石灯籠一対を寄進している。明治二年日吉神社と改称し、同九年村社に列する。同十一年山階宮二品晃親王より社号の額字御染筆を賜わり、これを華表に掲げている。大正七年郷社に列する。
滋賀県神社庁公式サイト より。

参道入口

鳥居

参道

拝殿

本殿

本殿玉垣前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿


伊都岐島神社鳥居

伊都岐島神社社殿


大神神社鳥居

大神神社社殿


稲荷神社

末社 金刀比羅神社