直孝神社

米原市番場(平成17年3月21日)

この神社には由緒も御祭神も何も記載が無かったので、その名称からどなたか個人をお祀りしているのかと思い、通りかかった氏子の方にお聞きした所「いや違いますよ。この土地の氏神様ですよ。」というご返事。家に帰って調べたらやはり彦根藩三代藩主・井伊直孝公をお祀りしている神社のようです。

(昭和3年建立)

(昭和3年11月建立)

神社外観と入口。道路と境内の間には清流が流れています。

拝殿

今は銅葺きとなった本殿

拝殿前の厳つい浪花狛犬

本殿前の狛犬は前方に木が生い茂り
このアングルでしか撮影出来ませんでした。

台座にも彫刻が施されている

『ヨッシーの神社豆辞典』
             〜井伊 直孝公とはどんな方?


 井伊 直孝(天正18年2月11日(1590年3月16日)- 万治元年6月28日(1659年8月16日))公は井伊直政公の次男です。江戸時代前期の譜代大名で近江彦根藩主でした。
父・直政の死後、家督は兄の井伊直勝が継ぎましたが、直勝は病弱で武将としての器量にも欠けたため、井伊氏の実権は弟にあたる直孝が握っていたといいます。眼光鋭く、父 直政に似て剛直で無骨な寡黙な性格であったため、夜叉掃部といわれました。徳川家康、徳川秀忠に仕えた直孝は、1614年からの大坂の陣では、病弱の兄に代わって井伊軍を指揮しています。このため家康は、井伊氏の家督を直勝から直孝に継ぐように命じました。
 1615年の大坂夏の陣においては、豊臣氏の名将・木村重成を討ち取るという大功を挙げ、その後も徳川氏における家康時代最後の宿老として徳川家光に仕え、最終的には徳川氏の譜代大名の中でも最高となる三十万石の領土を与えられました。

法名:久昌院殿豪徳天英大居士   墓所:世田谷区豪徳寺の大溪山豪徳寺

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