山津照(やまつてる)神社

米原市能登瀬390 (令和2年10月19日)

東経136度19分31.91秒、北緯35度19分37.96秒に鎮座。

この神社は、北陸自動車道・米原ICの北800m程の辺り、能登瀬の街外れに鎮座しております。

御祭神 国常立尊

由緒
創祀年代は詳らかでないが、「神祇資料」によると、「山津照神社、今能登瀬村にあり、称徳天皇天平神護2年、近江地6戸を神封に充奉る」とあり、又「近江坂田郡志」によれば、「興福寺官務牒疏」に「山津照神。在坂田郡箕浦之東能登瀬。供僧三人。神主二人。神人二人。宣化天皇三戌午年。影向勧請。金勝寺四箇處鎮守之其一也」とあり、延喜式の小社に列せられた古社である。天武天皇の御代奉幣あり、文徳天皇より、仁寿元年正六位に進められ、清和天皇より、貞観8年正四位下に敍せられた。宇多天皇の寛平9年金勝寺の鎮守として、近江国の国司から、この年に年分度者2人に許可を与え、それぞれ飯道名神(信楽)と山津照名神とに仕えさせたい旨奏上したところ、朝廷もその請願を許可された。又醍醐天皇の延長6年、位記の印を請け、光明天皇の暦応2年、祈願あって本社を修造された。後光厳天皇の文和3年、御祈願があるなど朝野の崇敬が厚く、社領の寄進などがしばしば行はれた。中世は青木の宮と称せられていたが、明治以降はもとの山津照神社に復称し、明治14年郷社に列し、大正10年県社となる。近郷の総社として27ヶ村(現在は20ヶ村)の氏神として崇敬されている。境内にある古墳は、明治15年参道拡張工事の際発見されたもので、神功皇后の御陵候補地で、当社と深い関係がある。
滋賀県神社庁公式サイト より。

参道入口と社号標

一の鳥居

参道

手水舎

拝殿

拝殿内部

中門

本殿玉垣前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)9月建立)

本殿


春日社・北野社