日雲神社

甲賀市信楽町牧75 (令和元年11月8日)

東経136度05分10.44秒、北緯34度54分16.81秒に鎮座。

この神社は、信楽高原鐵道信楽線・雲井駅の南南西400m程の辺り、信楽町牧の街外れに鎮座しております。

御祭神 天御中主神

由緒
当社の起源は詳かでないが、古伝によると第11代垂仁天皇(3世紀後半〜4世紀前半)の御代、皇女倭姫命、皇祖天照大神を奉じ御鎮座地を求めて諸国を巡幸し給う砌り、伊賀国より近江国に入り給い、甲可日雲の宮に四ヶ年滞留されたと伝えられているが、(倭姫命世紀による)その甲可日雲の宮が即ち当社の起りであるとされている。この地の字名が上野であるところから、古来より上野山天神と称され、牧、宮町、黄瀬の三ヶ村の氏神として広く地方民衆のの崇敬を受け、神社背後の宮山を三郷山と呼んだ。
中世以降神仏習合思想の永享をうけ、天徳寺と言う別当寺が建てられ、三棟の宮座が設けられて祭祀が行はれていたが、明治初年の神仏分離により天徳寺は廃され、宮座も幾許もなくして朽損した。
明治9年(1876)村社に列せられ、同41年(1908)神饌幣帛料供進社に指定されたが、大東亜戦爭に敗れて社格は廃され、神社は宗教法人となり、当社は神社本庁に所属することとなった。
本殿の形式は三間社流れ造り、屋根は桧皮葺で現在の社殿は元禄4年(1691)の再建と記録されている。
9月の秋祭に奉納される太鼓踊は簡素なしつらえであるが、よく古き手振りを残している郷土芸能で、県の無形民俗文化財に選択されている。尚本殿右面の石灯籠は鎌倉時代後期の嘉元年間(1303〜1305)石大工平景古の作と推定され、文化財的価値あるものとされている。
境内由緒書き より。

参道入口

神額

参道

畏れ多くも信楽線が参道を分断しています。

拝殿

本殿板囲前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿神門

本殿

本殿縁側の神殿狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


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