滋賀縣護國神社

彦根市尾末町1-59 (平成24年12月31日)

東経136度15分33.13秒、北緯35度16分18.73秒に鎮座。

【狛犬情報・剣貝さんより】
彦根城の東側、お堀を挟んで鎮座しています。 大晦日の準備忙しい時に宮司さんよりお話を伺いました。

御祭神
明治戊辰の役以来、西南の役、日清戦争、日露戦争から大東亜戦争に至る幾多の戦役・国事・国難に殉じられた本県出身の英霊。即ち郷土滋賀の守り神・近代日本の国造りの神を御祭神として奉斎する。御祭神柱数 34750余柱

由緒沿革
明治8年内務省布令を受けて、旧彦根藩主井伊直憲公主唱者となり招魂社造営に着手し、同9年5月竣工するを以て創始とする。
同年7月、戊辰の役東征従軍戦死者青木貞兵衛貞実之命を始め26柱の神霊を招魂鎮祭する。昭和14年内務大臣指定・滋賀縣護國神社と改称すると共に、社殿の整備造営並に境内拡張事業が行われる。敗戦による占領軍の進駐・時勢の推移により、同22年、社名を沙々那美神社と改称したが、同28年再び滋賀縣護国神社に復する。
昭和31年3月、県民挙げての奉賛会が設立され、社殿の修復と境内整備事業が実施される。同38年彦根市民会館建設により社務所・斎館他施設が現在地へ移設。同51年4月御創立100年記念大祭を斎行し、社殿屋根銅板葺替の記念事業を実施する。同60年彦根城博物館建設に伴い、社務所内の彦根市能舞台が移築されたのを機に、翌年、御創立11O年記念事業として跡地に参集所を建設し併せて本殿屋根銅板葺替工事を施工する。
平成3年、御大典記念の社殿への渡庫下及び受付授与所増築工事を施行。次いで平成7年終戦50周年を迎え、記念大祭を斎行すると共に、神社の将来の護持奉斎・英霊遺徳顕彰を目的とする記念事業を推進し.未来永劫、遺族並びに崇敬者県民の心の拠り所として変わらぬ滋賀縣護國神社の姿を期している。
遺族崇敬者はもとより、皇室の御崇敬も殊の外厚く、明治11年12月の天皇陛下御巡幸の御砌、祭祀料の御下賜をはじめ、同43年には東宮殿下〔大正天皇)、大正6年には天皇陛下より祭祀料を賜る。さらに昭和9年東伏見宮依仁親王妃周子殿下、同27年高松宮殿下、同49年皇太子・同妃両殿下の御参拝を忝くし、同50年の全国植樹祭に際し、5月28日天皇・皇后両陛下の御親拝を仰いでいる。また、天皇陛下よりの幣帛料を同35年の合祀概了奉告祭をはじめ、同40年、50年、60年、平成7年のそれぞれの終戦記念大祭に際レて賜っている。昭和50年(国民体育大会)、平成6年(諸事情御視察)の滋賀県への行幸啓の御砌には幣饌料が御下賜され、護國の英霊への御聖慮の深さを感じとることが出来る。
当社しおり より

参道

境内入口と社号標
境内入口の招魂社系狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内

手水舎&記念碑

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋

仮殿鳥居

仮殿、今は神様は居ません

父の像・母の像は隠れています

彦根傷痍軍人・祈平和之碑&戦没・軍馬軍犬軍鳩慰霊碑

シベリア強制抑留者慰霊・平和の礎

脇参道入口

脇参道入口前・お堀

お堀

彦根城

御朱印