軽野神社

愛知郡秦荘町岩倉(平成17年3月22日)

写真をご覧になればお判りと思いますが何しろ樹叢の濃い境内の広い神社です。「こんなに広い境内を持つ神社はきっとお祭が盛大なのよね」と夫と話していましたが、此処では毎年4月20日に近い日曜日に『堅井之大宮の春祭』という上部に人形を飾った9台の日野型曳山が巡行する祭礼が行われるようです。御祭神は袁邪本王、配神は日子坐王。袁邪本王は開化天皇の第三皇孫で蚊野の祖神だそうです。由緒は下記にてどうぞ。

(昭和15年7月建立)

由緒
当社の創立の人皇第十一代崇仁天皇の御宇にして軽我孫公(カルアビコノキミ)は第十三代成務天皇の御宇(ミコ)軽野地三千代を御供奉田として奉納せられ貞観八年七月清和天皇は国家大平五穀豊熟の勅願をなし給ひ応永二十五年佐々木京極時高は武運長久を祈願がれ金口一口を寄進、文明二年九月多賀豊後守高忠は神領安堵状を寄進、安孫子日向実綱は宗家より拝領せし劒及薙刀と御供料として高三十石を献上萬治三年勧修寺宮良尚法親王は親書を修め給ひ元禄四年藩主井伊直興公は金燈蘢一対を寄進さる。祀職は往古軽我孫公の子孫が奉仕せしも中世に至り神宮寺である金剛輪寺の奉斉する処となり神前に法楽を奏せし記録がある。
(神奈備にようこそより)

神社入口
このまま道路に沿って参道が続く

灯籠と樹木の間の参道は続く

境内の両側も鬱蒼とした杜と奉納灯籠の行列です

広々とした境内の様子

拝殿

この頃の建立としてはとても優しい顔の狛犬です

春日造りの流麗な本殿

本殿の案内と狛犬の拡大写真はこちらで