埼玉県

明治4年11月4日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の発祥である。以後幾度かの変遷を経て、明治9年8月に現在の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたには、当初の県の管轄区域の中で、最も広いのが、埼玉郡であったことによる。埼玉郡は律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡と見られ、当初は埼玉郡(さきたま)という表示も行われ、正倉院文書神亀3年(726)の山背国戸籍帳には「武蔵国埼玉郡」の表記が見える。また、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「埼玉神社2座」とある。ここ行田市埼玉の地は巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所でもある。おそらく埼玉郡の中心地あったと考えられるので、ここに碑を建て、県名発祥の記念とする。
昭和62年4月
埼玉県

以上、埼玉県行田市のさきたま資料館にある埼玉県名発祥の碑。
碑の題字は当時の埼玉県知事、畑和氏(はた やわら)

上の公式発表には書いてないのだが、埼玉県庁は当初、浦和にあった。しかし浦和は埼玉郡ではなく、足立郡です。実は、浦和の県庁舎は臨時で、いずれ埼玉郡の岩槻に正式庁舎を移す予定だったようです。しかし実行される事なく、平成13年5月に浦和、大宮、与野と合併して「さいたま市」になり、本来の「埼玉」という地名とは無関係な場所に「さいたま市」が出来てしまいました。敢えて県庁所在地を平仮名にしたのも、以上の問題を意識してのことかも知れません。 また、埼玉の由来は幸福をもたらす神の働きを意味する幸魂(さきたま)から名づけられたといわれます。

埼玉県民の多くは、首都圏へ働きに出る人が多いところから、「埼玉に寝に帰るだけの埼玉都民」・「ダサイタマ」などとからかわれてチョット可哀想な気もするが、事実でもある。水沢うどんは稲庭うどんの後塵を拝し、うどんの町加須も知名度で讃岐には遠く及ばない。東京の極貧乏人の食い物「もんじゃ焼き」でさえ市民権を得て結構な金を取っているが、行田市のフライとゼリーフライは知っている人の方が少ない。ま〜僭越乍、隣の東京に住むよしみで、埼玉の知られざる名品を紹介してゆきたい。

 

仙波東照宮(江戸城から移設された埼玉最古の狛犬)