浅間神社

草加市瀬崎3-3-24 (平成27年8月21日)

東経139度48分23.63秒、北緯35度48分35.19秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
東武伊勢崎線「谷塚駅東口」前の交差点角地に鎮座しています。

御祭神 木花開耶姫命

御由緒
富士浅間神社本殿
富士浅間神社は、木花開耶姫命を祭る。神社創建年次は明らかではないが、「新編武蔵風土記稿」によると、「浅間社、村の産神とす。善福寺持」とある。
別当の善福寺は、寺伝によると、「寛永四年(一六二七)の開基にして、この浅間神社は、他の場所に祭られていたのを、明暦年間(一六五五〜一六五七)に、現在地に移建した」と伝えられている。現本殿は、天保十三年(一八四二)に再建されたことが本殿内にある擬宝珠銘(ぎぼしめい)からわかる。富士山は古くから霊山として山岳信仰の対象となり、中世になると、富士行人と呼ばれる本山派修験の人たちが中心となり、一般民衆を引率して富士登山を行った。江戸時代になると、富士講の開祖と崇められた、角行東覚が出るに及んで、各地域に講が組織され、先達を中心とした講中が一団となって登山するようになっていった。本殿の建物は、間口二・三二メートル、奥行三・六〇メートルの流造の一間社で、前面に軒唐破風、千鳥破風を配し、随所に彫刻を配し、贅を尽くしたものである。これは当時この地方に繁栄した、和晒(わらざし)・形付(かたずけ)・紺屋(こうや)等のゆかた染関連の業者と地元が協力し、この地の富士講が面 目にかけて造営したものと思われる。この本殿が造営された天保(一八三〇〜一八四三)ごろは、構造材に波紋などを彫刻するだけでなく、その間に花鳥風月や 日本の神話、中国の故事等を題材とした写実的な彫刻物で装飾することが盛んに行われた。内部は簡素であるが、外観を中心にした、いわゆる見せる社殿としての傾向が強くなった。この建物もその例外ではない。現在では、このような豊富な彫刻を配した神社建造物は少なく、特にこの地域での社寺建築の装飾を研究する上からも重要なものである。
草加市教育委員会案内板 より

そうか辞典では
瀬崎町の旧日光街道沿いにある神社。富士山の神霊である木花咲耶姫命を祭る。浅間神社と市民から呼ばれているが「富士浅間神社」が正式名称。本殿裏には富士山を模した小山もある。江戸時代、富士山参詣の流行から各地に富士講が生まれ、浅間神社が建てられた。

瀬崎町の浅間神社の創建年は不明だが、現在の本殿は1842(天保13)年に再建されたもの。一間社流造で、屋根の前面に軒唐破風、千鳥破風を配する。本殿の木彫は宮彫刻の粋といわれる。毎年7月の第1土・日曜日には祭礼、前日には宵祭りがあり、多くの人が集まる。里神楽も奉納される。本殿は1976(昭和51)年11月15日に市指定文化財に指定され、境内は鎮守の森として親しまれ、「草加八景」にも選ばれている。
〈昭和52年2月20日号・昭和54年2月5日号・昭和59年9月20日号・昭和59年10月5日号・昭和64年1月1日号・平成元年4月20日号〉

神社入口

入口左右の獅子山。拡大写真はこちら。
(年代不明)

手水舎

拝殿

向拝と木鼻の狛犬

本殿


浅間稲荷社

疱瘡神

神楽殿

神庫