天神社

さいたま市中央区鈴谷8-10-1 (令和7年1月7日)

東経139度37分41.82秒、北緯35度52分26.92秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR埼京線・与野本町駅の南南西400m程の辺り、与野西中学校の南東隣に鎮座しております。

御祭神 菅原道真公

由緒
応永3年(1396)10月18日に書写された栃木県日光市輪王寺蔵の大般若経巻178の奥書に「足立郡与野郷鈴谷」と見え、中世には当地が与野郷に含まれていたことがわかる。地内には妙行寺の正元2年(1260)のものをはじめとして、鎌倉期から室町期に至る多数の板碑が散在している。また、妙行寺は禅宗寺院を日蓬宗の日英が応永年間(1394〜1428)に改宗させ中興開山となったといわれる古利で、このことからも当地は中世から開けたと考えられる。
鈴谷の鎮守である当社は、地内の北外れに鎮座している。その創建は村が開かれた近世以前にさかのぼると推測されるが、史料を欠き、明らかにできない。元禄11年(1698)の「武州足立郡鈴谷村田畑水帳」(大室俊一家文書)には「1、天神社弐拾弐間拾壱間半 惣村中持」とある。また、享和3年(1803)の棟札によると、享和2年(1802)に与野町の大火の際、石川治郎八という人が当社に駆けつけて、神体を運び出したが、社殿は灰燼に帰した。そこで石川万吉・石川音次郎をはじめ総筆子40余名が社殿再建を誓い、遊馬弥五右衛門・石川治郎八の両名が世話人になって翌年に竣工し、併せて神体に彩色を施して厨子・帳を新調し、妙行寺隠居日昌が神体の内に法華経一部を納めた。その総費用は金20両余で、内17両は山木を売り払った代金を充て、残りは勧化金で賄ったという。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬

(年代不明)

神額


境内社

稲垣田龍先生の碑

基本金當積記念