足立神社

さいたま市西区飯田54 (令和7年1月7日)

東経139度35分34.09秒、北緯35度53分39.24秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、大宮駅の東南東3.2km程の辺り、飯田の街中に鎮座しております。

御祭神 天神七代尊・地神五代神・日本武尊・市杵島姫命・多岐都比売命・猿田彦命・大国主神・天手力男神・菊理姫命・倉稲御魂命・応神天皇・菅原道真

由緒
『延喜式』神名帳には、武蔵国足立郡内の神社として、氷川神社・足立神社・調神社・多気比売神社の四社の名が記されている。これらの諸社のうち、足立神社は、古代における殖田郷に鎮座し、この殖田郷を本拠地とした豪族足立氏が奉斎した神社であったので、長い年月には衰微した時期があり、江戸時代は足立神社と称する社が幾つか出現する状況になったが、植田郷に鎮座する足立神社は『風土記稿』「神名帳」等にも名主勘太夫の屋敷内にあり(中略)式内社として有力なる候補とされて来た社であが、水判土村にも足立神社が慈眼寺裏手の指扇支台と山王塚の二箇所共に村の鎮守として祀られていたと言う伝説もある。また飯田村下組は氷川神社・上組は氷川・八幡合社を鎮守として祀っていたが明治6年下組の氷川神社が植水村社となり、明治39年には政府の合祀政策の発令により、当時の村内にあった村社および無格社30社を当地の氷川神社に合祀し、その中には、植田谷本・水判土の足立神社も含まれており、この合祀を機に氷川神社の社号を「足立神社」と改め、大正3年4月には神域を拡大整備し本拝殿を改築且つ社務所を新築し名実共に5地区の鎮守として新発足したのである。

足立神社は、平安時代にその名が見える古い神社です。植水地区を中心とした殖田郷に本拠をおいた平安時代の豪族足立氏が奉斎する氏神でしたが、崇敬者も増え朝廷の『延喜式神名帳』に登載されるほどになりました。この神名帳にみえる足立神社だとする社が、浦和市・鴻巣市・市内宮原町にもありますが、『新編武蔵風土記稿』では足立氏の子孫と伝える植田谷本村の名主小島勘太夫家屋敷内にあった足立神社をそれと記しています。
この足立神社は明治40年に植田谷地内の12社を合祀して、氷川神社の社号を足立神社と改称したものです。
この歴史散歩コースは鴨川を中心とする植水〜三橋を訪ねるもので、東へ向かうと慈眼寺・水判土観音、南東は袋の観音寺・林光寺などへ続いています。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬

(昭和40年(1965)4月吉日建立)

神額


御嶽神社

石塔