さいたま市見沼区大和田2-463 (令和7年3月10日)
東経139度38分50.50秒、北緯35度55分40.62秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、東武野田線・大和田駅の西北西700m程の辺り、大和田の街中に鎮座しております。
御祭神
由緒
当地は芝川左岸の大宮台地上に位置し、地名の大和田は、見沼の湾曲部にある地を意味する。当社は、この見沼を西方に望む台地際の急崖「鷲山耕地」に鎮座し、境内は近年まで杉の大木が林立していた。
創建は中世、大田荘の総鎮守である鷲宮神社(久喜市鷲宮鎮座)を勧請したことによる。大田荘の荘域は、現在の行田・羽生・加須全域、鴻巣・熊谷の一部と南埼玉郡、北葛飾郡の一部であったが、鷲宮神社の信仰圏は、岩槻方面から見沼東岸まで及んでいたものと思われる。
主祭神は、天照大御神の右に角髪に巻いた御統から化生した天穂日命である。
社殿は、安政2年(1855)の建造と伝える総欅の入母屋造りである。特に社殿入口の唐破風屋根は、近村には見られぬ高さを誇る豪壮なものである。
別当は、『風土記稿』に中野村(さいたま市見沼区南中野)の正法院門徒の真言宗真福寺と載せるが、同寺は明治6年8月に廃寺となった。
『明細帳』によると、明治6年村社に列せられた。また、往古、字塚の愛宕社が、次いで同40年5月、字本村耕地の無格社火産霊社、境内社八雲社・天満社、同字無格社稲荷社、字椿耕地の、無格社皇産霊社、字保浄耕地の無格社稲荷社が合祀され、同43年11月、神饌幣帛料供進神社に指定された。
境内由緒書き より。
神社入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(嘉永2年(1849)己酉1月吉日建立)
向拝
境内社
石碑