氷川神社

さいたま市緑区東浦和5-20-2 (令和6年9月18日)

東経139度42分28.95秒、北緯35度51分50.37秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR武蔵野線・東浦和駅の北北東400m程の辺り、東浦和の街中に鎮座しております。

御祭神 素盞嗚尊

由緒
『風土記稿』大間木村の項に、当社は「氷川社 当村及び大間木新田・大枚・附島等四か村の鎮守なり、附島村民の持、末社 第六天社、牛頭天王、疱瘡神、天神社、八幡社、荒神社、稲荷社、神明社、別当三光院 本山派修験、中尾村玉林院配下なり、本尊不動を安ず、長一尺五寸許、智證大師の作と云、什物、笈一 亀井六郎奥州下向の時背負し物なりと云(以下略)」と記されている。
往時別当であった三光院の末裔である仲田家には『風土記稿』にも挿絵の載る室町期の優れた漆工芸品である椿紋鎌倉彫笈(県指定文化財)が残されている。笈とは、行脚僧・修験者などが仏具・食物・衣類などを入れて背負う箱のことで、『風土記稿』では源義経の家来である亀井六郎重清にちなむものであるとしている。この真偽は定かではないが、亀井六郎の屋敷跡とされる所が三光院の本寺に当たる玉林院が所在した中尾村にあったと伝えられている。この笈を背負った三光院の先祖がこの地に土着して当社の祭祀を司るようになったものと思われ、当社の創建も室町期までさかのぼることが推測される。
市指定文化財になっている一間流造りの当社本殿は『明細帳』によると、寛文7年(1667)3月に武蔵国一宮氷川神社が再建された際、旧本殿を買い受けたものである。なお、いつのころか稲荷社二社と石神井社を当社に合祀したという。
境内由緒書き より。

参道入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(弘化2年(1845)乙巳6月吉日建立)と台座に掘られていますが、一対には見えないので相方は違うかも?

神額


手水舎と手水鉢(文政8年(1825)乙酉9月吉日建立)