さいたま市北区日進町2-1194 (令和7年3月17日)
東経139度36分28.28秒、北緯35度55分27.15秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR川越線・日進駅の南西500m程の辺り、日進町の街中に鎮座しております。
御祭神 素戔嗚尊
由緒
当地は鴨川左岸の大宮台地に位置し、東に切敷川の低地が、西に鴨川の低地がある。中世ここは「加村」と呼ばれ、江戸初期これが分村し、「上加村」「下加村」となった。
鎮座地は、上加村南方に当たるばかりでなく、分村前の加村中央に位置している。境内は、明治期編纂の『郡村誌』によると、「宮の腰林」と呼ばれ、杉・松・樅などの雑木に覆われていた。また、境内南西側は大宮台地の崖となっており、ここからは「出居」と呼ばれる清冽な湧水がある。この水は、近年まで天水場である当地の貴重な水源で、上下加村五町歩の水田を潤して鴨川に注いでいた。
創建は、中世、武蔵一宮氷川神社の大神を勧請したことによる。当初の祭祀は、境内の湧水を源とし、五穀豊穣を祈るものであったと伝える。
別当は、『風土記稿』によると、真言宗満宮寺で、当社境内南東側にあった。同寺は、明治初年に廃寺となった。
本殿は一間社流造りである。本殿基壇石には、明治12年9月、石垣寄附連盟として押田幸左衛門ほか34名の名が刻まれている。
『明細帳』によると、明治6年に村社に列せられ、同40年、日進村に鎮座する46社を合祀し、社号を永川社から村名を冠した日進神社に改めた。
境内由緒書き より。
参道入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
神額
境内社
石碑