笹久保八幡神社

さいたま市岩槻区笹久保820(平成20年2月初旬)

東経139度43分11.78秒、北緯35度55分10.05秒に鎮座。

【狛犬情報・gamanさんより】
 ここは南北に走る県道324号線と東西に走る県道214号線の交差点、「笹久保」から北に300mほどのところにありました。つまりは県道324号線沿いです。
 神社を横目で見ながら、朝から走りっぱなしだったので、寄ろうかどうしようか・・・ 。もう面倒だからやめようか・・・。やっぱり寄ってみよう! と、わずか1〜2秒のたいしたことのない葛藤がありましたが、これが大正解。ここには結構古そうな狛犬がいました。私には「安永七年」と見えるのですが、どうでしょう?
 また龍の木鼻も初めて見ることができ、寄って良かったと思いました。

 御祭神:誉田別命
 例祭日:西暦偶数年9月15日・古式子供土俵入り
 由緒:創建は不詳ですが、今から900年位前、この地は大和田と呼ばれていました。社伝では、鎮守府将軍となった源義家(1039〜1106)が、奥州攻めの途中この地に一夜の陣を張り、笹の生い茂った窪地に軍扇を祀り八幡さまを勧請し、以来この地を笹窪(笹久保)と呼ぶようになったと伝えられています。
 この社では「古式子供土俵入り」が国指定重要無形民俗文化財となっています。これはある伝説によりこの地に伝承されるようになったといわれています。(「いわつき郷土文庫・岩槻の伝説」より)
 「この八幡さまの南に八幡久保という所があります。この付近一帯は昼でも薄暗い山林で、その中に周囲を榊に囲まれた塚がありました。土地の人々はこの塚を八幡塚と呼び崇拝していました。
 ある夜、一人の村人がこの塚の近くを通ると、まばゆいばかりの光を発した金の軍扇が落ちていました。村人は神様のものに違いないと八幡さまに奉納しましたが、軍扇は奉納されてからも三日三晩、美しい光を放っていたということです。
 ある時、神社の留守居がこの軍扇を盗みだし、ひそかに売ってしまいました。数日後、その留守居が近くの家に風呂を借りに行き湯に入っていると、ごうごうとものすごい音が聞こえてきました。なにごとかと風呂から上がったところ、突然どこからとも無く飛んできた白羽の矢に射抜かれ息途絶えてしまったということです。
 これは鎌倉八幡さまの祟りだと考えた村人たちは、皆で鶴岡八幡宮にお参りをしました。鎌倉時代の鶴岡八幡宮では、毎年、武士たちの相撲が行われており、笹窪からの参詣者は鶴岡八幡宮で必ず相撲を取って帰ってくる習わしとなりました。そして後には笹窪だけで相撲を取るようになったのだそうです。 」

神社入口 清々しい参道の様子
拝殿
拝殿前の狛犬
安永7戌年生まれの尾立ち狛犬
阿は宝珠を、吽は角を付けています。凛々しい眉毛が浮き立ち、獅子頭のような顔つきで、鼻の三段皺がチャームポイントになっています。鬣や顎髭、臑毛、尾が綺麗な渦巻きと木の葉状の模様の集合体となっていて、シンプルではあるけれど品の良い感じがします。たっぷりとした体つきで前足を踏ん張る姿は、気合い充分な相撲の立ち会いを見ているようです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安永7戌(1778)正月吉日建立)
拝殿の木鼻・龍
この龍も精悍な顔つきの良い彫刻です。
本殿
瓦屋根になっているのは一寸残念ですが、この本殿にも沢山の彫刻が施されています。