鷲宮(わしのみや)神社

さいたま市岩槻区上野6-6-8 (令和3年3月27日)

東経139度41分58.95秒、北緯35度58分27.51秒に鎮座。

この神社は、東武野田線・東岩槻駅の北西2.5km程の辺り、蓮田市に近い上野の街中に鎮座しております。

御祭神 天穂日命

由緒
元荒川左岸の田園地帯の中にある上野の大部分は、太古には海であり、現在集落のある台地は、そのころの海岸であったという。その地内からは、縄文時代の貝塚や竪穴式住居跡などが発見されており、こうした言い伝えを裏付けている。
この上野の中で、最も古いといわれているのが上組にある関根家である。関根家は、家伝によれば延暦・大同のころ(782-810)から続くといわれ、弘法大師に食事を振る舞った時に使ったとされる古い御膳が残っている。要害の地に居を構えた郷士であった同家は、太田氏が岩槻城主となった後は太田氏に仕え、天正18年(1590)の豊臣の北条攻めの時には馳せ参じたという。当社は、この関根家の鬼門の方角にあるため、同家の守護神として祀られたともいわれており、江戸時代に別当であった宝生院は同家の隣にある。
一方、『明細帳』は、「鎮祭天正19年(1591)6月14日ニ有之由申伝別段旧記等ハ無之明治6年(1873)4月中損者申立済云々」と当社の由緒を記している。この「鎮祭天正19年」の出典・根拠については不明であり、当社にもこれに関係する資料は見当たらないが、関根家の家伝と関連させて考えるなら、天正18年(1590)の合戦後に関根家及び上野村の守りの堅固なることを願って奉斎した社であるとの見方ができる。
境内由緒書き より。

神社入口

二の鳥居

境内

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(吽:大正12年(1923)2月、阿:昭和6年(1931)10月9日)

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

天満宮等