飯塚神社

さいたま市岩槻区飯塚1294 (令和3年3月26日)

東経139度43分43.65秒、北緯35度55分55.07秒に鎮座。

この神社は、岩槻区役所の南東4km程の辺り、飯塚の街外れに鎮座しております。

御祭神 大己貴命・建御名方命・応神天皇・倉稲魂命

由緒
飯塚の地名は、建武元年(1334)2月6日の、足利尊氏御教書に「武蔵国飯塚村」とあり、このころ既に開発がなされていたことがうかがえる。また、戦国時代には、岩槻城主太田氏の支配下にあり、棟別銭などの免除を受けていたことが、地内にある法華寺の古文書によって知られている。
当社の境内は、この飯塚のほぼ中央にあり、今でこそそれほど大きな樹木はないものの、かつては鬱蒼とした大木に囲まれた神社であったという。元来、当社は久伊豆社と称し、大己貴命を祀ってきたが、明治40年(1907)6月6日に字本田無格社諏訪神社、字原無格社八幡神社、字新切無格社稲荷神社の三社を合祀したことにより、祭神に建御名方命・応神天皇・倉稲魂命の三柱を加え、社号を飯塚神社と改めた。しかし、改称の後も、古来用いられてきた久伊豆神社の社号は、通称として存続し、今でも当社は「産土様」「久伊豆様」と呼ばれ、親しまれている。
その後、大正4年(1915)には、御大典記念事業として社殿が再建され、昭和50年(1975)には社務所兼飯塚自治会館が境内に新設され、明るい雰囲気の神社になった。なお、当社に合祀された三社のうち、諏訪神社と稲荷神社は、旧地に社殿が残っており、旧氏子の間で「諏訪講」、「稲荷講」という祭事が継続されている。
境内由緒書き より。

棟別銭(むねべつせん、むねべちせん、むなべつせん、むなべちせん)は、棟役・棟別役とも称し、鎌倉時代から戦国時代にかけて、特定の国郡または全国の家屋の棟単位で賦課された租税のこと。 一方、都市では間別銭(まべちせん)と呼ばれ、屋敷の間口の間数に応じて課された。

参道入口

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

末社 諏訪神社

末社