秋葉神社

さいたま市岩槻区仲町1-1-12 (令和3年3月27日)

東経139度42分13.04秒、北緯35度56分33.30秒に鎮座。

この神社は、東武野田線・岩槻駅の南東800m程の辺り、仲町の街中に鎮座しております。

御祭神 火産霊命

由緒
当社は江戸時代、秋葉社と称し、杉並町に鎮座され杉並町、各町等の秋葉講を主体に永井家家中等の助力に由り、正徳元年(1711)〜享保12年(1727)に遠江国周智郡犬居(現・静岡県浜松市春野町)の秋葉寺から火防鎮護の神、秋葉三尺坊大権現を祀り創建されました。
秋葉信仰の発祥は永禄12年(1568)頃、家康と信玄との関係悪化により上杉謙信と好を結ぶ過程で謙信配下、越後長岡の蔵王堂三尺坊院主周国を連れ帰った。信濃の戸隠宝光院出自で飯縄信仰を堅持していた周国は遠州秋葉山にて死後、飯縄権現が三尺坊として信仰の対象となりました。貞享2年(1685)4月18日、貞享秋葉祭の村送りを機に東西に広く伝わり貞享2年11月に幕府より新規祭礼の禁止令が出されましたが、全国に爆発的に広まり最盛時には秋葉社は二万七千社を数えたと言います。
江戸時代は隣の千手院が別当を勤め祭礼等、管轄されていました。慶応4年(1868)3月13日神仏判然令等の太政官布告により当社祭神秋葉三尺坊大権現は廃止され浄火の神・火産霊命(火之迦具土神)と水の神・河菜姫命の兄弟神に替えられ社名も秋葉神社となりました。昔の秋葉寺は明治6年廃寺とされ秋葉三尺坊大権現像は本寺の可睡斎へ移されました。廃寺となった秋葉寺は明治13年11月復興。また火之迦具土神を祭神とする神道の秋葉山本宮秋場神社が創建されました。
当社本殿は、大正14年改修により瓦葺から銅板葺に替えられました。秋葉町自治会氏子有志として隔年、可睡斎で法要、秋葉山本宮秋葉神社へ参拝して現在に至っています。
境内由緒書き より。

参道入口

境内入口

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保3年(1832)壬辰9月吉祥日建立)

本殿覆屋

本殿


お面様

お稲荷様