小被(おぶすま)神社

大里郡寄居町富田1508(平成18年9月10日)

 この神社は東武東上線・男衾駅の東北東約600mに鎮座しています。地図記号の神社マークの場所に行き着くとそこは境内入口で、遙か彼方に入口の一の鳥居が見えます。仕方なく夫は足下に絡み付く下草を踏みつつ一人入口に向かい、写真を撮ってきました。その間私はやることもなく一人フラフラしていましたが、たまたま境内前の道路を通る方がいらしたので神社名をお聞きすると「こひじんじゃですよ。」地元の方は「おぶすま」とは云わずにそのまま音読みをしているようです。
 社号標にも鳥居の額にも誇り高く「延喜式内 小被神社」の文字が見えます。因みに男衾郡には式内社としてこの社の他に出雲乃伊波比神社、稲乃比賣神社があります。境内の入口には直進の進入を禁ずる石垣が積まれ、それがかえって古社としての雰囲気を際立たせています。嘗てこの様な造りは少しは違いますが、愛知県江南市で見かけた以外は余り記憶にありません。私達はまだかの地を参拝しては居ないのですが、摂津難波が本拠地であった壬生氏が祭祀していた影響でしょうか。
 第27代安閑天皇(531〜535)の時に、豪族富田鹿(とみたろく)が隣村の塚越に、地主神である小被神を祀った事に始まり、壬生氏、男衾氏の崇敬をあつめました。天正年間(1573〜1591)、荒川の大洪水により、赤浜村民が標高の高いこの地北に耕作地を与えられて移転してきて土地の領有権争いが起こり、寛文9年(1669)に赤浜村との村境にこの神社を鎮座させることによって、境界を明らかにさせたという事です。(確かに入口は富田にあり、社殿は赤浜に建っています。)明治40年に近隣の無格社10社を合祀しました。御祭神は、邇邇藝命、木花佐久夜毘売命、穂穂手見命です。

神社入口。鳥居の額には
「延喜式内 小被神社」
社号標
「延喜式内 小被神社」
鎮守の杜遠景 境内前から入口を振り返る
境内入口 拝殿
平成8年生まれのデカ顔狛犬
(平成8年4月吉日建立)
富士浅間大神碑 境内社・内の宮社
境内社・稲荷神社 境内社・白山神社
境内社・愛宕神社 境内社・神明神社
神楽殿 拝殿前から珍しい入口の様子を振り返る