八幡神社

熊谷市須賀広237(平成21年7月5日)

東経139度20分42.89秒、北緯36度6分5.98秒に鎮座。

 この神社は釈迦寺西に鎮座していますが、私達の持っている県別地図に記載は無く、偶々、野原の八幡神社に行く途中で、森の中に鳥居を見かけ参拝した神社でした。
 石段を上がり、雰囲気の良い両部鳥居を潜ったあとの参道両側には杉の木が植えられ、かなり暗い中を奥に進むと、明るく開けた境内入口には明神鳥居が建ち、境内左には現役で機能しているらしい神楽殿が建っています。境内正面の唐破風付きの拝殿には鳳凰・龍などの彫刻が見られ、透かし塀内の本殿鞘堂も大きく立派です。
 静寂そのものの境内に立ち、静かでゆったりとした空間と時間の中に身を置いていると、日常生活の垢が取り除かれていくような感じがしました。

 御祭神:誉田別命
 祭礼日:大祭・10月14日に近い土・日曜日
 境内社:天満天神宮他
 由緒:この社の御神体は神鏡で、社伝によれば、創建は延喜17年(917)醍醐天皇の御代に遡る古社です。武家の崇敬が極めて篤く11世紀末、八幡太郎義家が奥州征伐の赴く途中、侍人を代参させ戦勝祈願したといわれています。
 江戸時代初め、稲垣若狭守重太の長臣田村茂兵衛が当地に陣屋を築き、以後この地を治めました。その後、寛永11年(1634)稲垣氏から御供米、土地が寄付され、以後も累代崇敬されてきました。また、明和3年(1766)本殿再建時にも、時の若狭守が自ら参拝し多額の幣帛料を寄進しています。それからは須賀広、野原、小江川地区等稲垣氏所領の村民の崇敬は益々篤くなったと伝えられています。
 大祭には獅子舞が奉納されますが、獅子舞子は三人で長男に限られ、当日は氏子一同社頭に集まり舞を奉納後地区内を一巡する習わしとなっています。

社頭
社号標
「村社 八幡神社」
入口の両部鳥居
参道の様子
境内入口 明神鳥居
神楽殿 境内の様子
拝殿
拝殿向拝彫刻・鳳凰
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬
本殿
境内社:天満天神宮 入口と社殿
合社 庚申塔