鷲宮(わしのみや)神社

久喜市鷲宮1-6-1 (平成15年7月20日)

東経139度39分29.46秒、北緯36度5分48.16秒に鎮座。

埼玉県北東部でもっとも栄えている神社がこの鷲宮神社だそうです。たしかに社地は広大で、毎年12月に催されるお酉様には大勢の参拝者が訪れるようですし、その際奉納される土師一流催馬楽神楽 鷲宮神楽は伝統を踏まえた素晴らしい物の様です。たっぷりと自由な時間がとれるようになったらぜひ一度拝見させて頂きたいものです。

御祭神
天穂日命 (あめのほひのみこと) 商売繁昌・出世金運・厄除消除
武夷鳥命 (たけひなとりのみこと) 交通安全(水上・陸上・航空)
大己貴命 (おおなむぢのみこと) 家内安全・開運招福・病気平癒

大和朝廷の葬儀を担当した土師氏の祖神が天穂日命。
鶏(にわとり)は時を告げる。すなわち魔が跳梁する夜に終わりを告げ、朝を迎えるので、あの世とこの世をつなぐ鳥として信仰された。土師氏もその鶏を信仰した。この神社も古くは土師の宮と呼ばれていたのだが、土師氏との関係が失われた後、鷲宮になったという。戦前までは鶏を奉納する習慣があり、また氏子は鶏を食べない習慣が残っていたようである。

社伝によれば、神代の昔、天穂日命が東国を経営するために武蔵国に到着し天穂日命のお供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。その後、日本武尊の東国平定の際、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命を祀ったという。ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載がない。
また別名を土師の宮(はにしのみや)とも言われ、一説には崇神天皇の時代に河内国から東国へ移住した土師氏が下総国浅草から利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかと言われている[3]。そして、「はにしのみや」がいつしか訛って、現在の「わしのみや」になったとされる。後述する神楽は、伝承に基づいて「土師」の名称を用いている。
ウィキペディア より

由緒略記
当社は出雲族の草創に係る関東最古の大社として今昔より鷲宮大明神・浮島大明神または大酉元祖とも称し州群所々に多数の分祀あり。

当社は御祭神、武蔵国造の遠祖天穂日命(あまのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)外合祀九柱を奉神、出雲族の草創に係る関東最古の大社にして景行天皇御宇、日本武尊の造営。次いで武蔵国造の司祭造営。中世以降関東の総社また関東鎮護の神として武将の尊崇厚く、藤原秀郷、源義家。鎌倉時代には建久四年(1193)十一月源頼朝の神馬奉献、社殿造営。建長三年(1251)四月北条時頼の神楽奉納。正応五年(1292)北条貞時の社殿造営。応安五年(1373)小山義政の社殿修復などが古文書に見えます。
室町時代に至り足利氏、古河公方などの保護を受け天正十九年(1591)徳川家康から四百石の朱印地を与えられました。
したがってこれらゆかりのある文化財が数多く所蔵され国指定、県指定となっているものが多くあります。
境内由緒書き より。

鷲宮神社公式サイトはこちら。

参道入口

関東では珍しい構え獅子、良い面構えをしています。拡大写真はこちら。
(嘉永5年(1852)4月建立)

参道

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。・・・と由緒にご登場の「神崎神社」となっています。

燈籠の台座に遊ぶ鶏