鴻巣市人形4-1-18 (令和6年11月4日)
東経139度31分26.60秒、北緯36度02分51.23秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR高崎線・鴻巣駅の南東1.5km程の辺り、人形の街中に鎮座しております。
御祭神 誉田別命
由緒
神谷新田は中山道沿いの新田集落で、正保年間(1644-48)以前に上谷村から分村したという。
江戸期の当社は『風土記稿』上谷新田村の項を見ると、浅間社・天王社・稲荷社と共に、金剛院の境内に祀られていたことがわかる。金剛院は京都智積院末の真言宗の寺院で、中興の海栄が元禄3年(1690)に没したと伝えている。当社はこの海栄によって勧請された社で、「八幡社存置ニ付願(写し)」によれば、創立は文禄元年(1592)8月15日で、海栄が豊前宇佐八幡社に参拝して分霊を頂戴し、その帰途神灯をともし続け、当地に奉斎したという。
当社は神仏分離により金剛院の管理下から離れ、社格制定に際しては無格社とされた。明治4年(1871)に下谷新田村は下上谷村と共に上谷村に合併となり、それ以前から上谷村の鎮守であった氷川神社が村社に列した。その後の政府の合祀政策により当社を村社氷川神社に合祀する旨の諭達があったことから、氏子により再三協議が持たれた。その結果、合祀を回避するため、明治41年(1908)2月25日付で社掌伊藤保・氏子惣代酒巻竜次郎・関口国太郎・石井源次郎の連盟で、北足立郡役所に先の「八幡社存置ニ付願」が出された。この願いは聞き届けられた模様で、合祀を免れて、現在に至っている。祭神は誉田別命で、本殿には騎乗の八幡大明神像を奉安している。
境内由緒書き より。
神社入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
神額
浅間神社
石仏