大聖寺

越谷市相模町6-442 (平成28年8月19日)

東経139度48分43.54秒、北緯35度53分14.86秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
東武伊勢崎線「越谷」駅より徒歩30分程の所在しています。境内の狛犬をメインに撮りました。後で気づきました、弁天池・鐘楼などいくつかの撮り忘れがありました。

本尊 不動明王

縁起
真大山大聖寺は、真言宗豊山派の寺で、ご本尊は不動明王です。寺伝によると、天平勝宝2年(750)に奈良東大寺の開山で知られている良弁僧正が自作の不動明王を祀って開基されました。中世には不動院と称し、岩槻城主太田資正や北条氏繁等の篤信を受けて栄え、天正19年(1591)当山に宿泊された徳川家康から寺領60石を賜り、このときに現寺名の「大聖寺」に改めたと云われています。
慶長5年(1600)に、下野小山(栃木県小山氏)から引き返して、関ヶ原へ向かう途中、戦勝を祈願して太刀一振り寄進したと伝えられています。当山は明治28年7月の大火災の際焼失し、境内山門が唯一焼け残りました。
越谷市公式ホームページ > 寺院  > 大相模不動尊大聖寺 より

(西方村) 不動堂
縁起の略に、往古良辨僧正相州大山開闢の時面のあたり、不動の靈容を拜し、其尊像を刻まんとて、先其木の根本をもて一刀三禮し、一像を彫刻し、是を大山根本不動と名付く、
大聖寺開山の僧不動坊といへる者、夢の告に任せ、彼像を負出て當所に來りけるが、俄に笈重くなりければ、是こそ有縁の地ならんとて、遂に當山に安置せり、
よりて山を眞大と號し、地を大相模と稱し、且其不動坊又不動院といひ僧俗の尊崇斜ならず、天正十八年東照宮御入國あり、大聖寺の住侶定傳といへるもの高徳たるにより、御歸依淺からず、同き十九年寺領六十石を賜はり、慶長五年下野小山御歸陣の砌、當地へ御渡あり、關ヶ原御陣の御願を懸られ、御太刀を納させ賜ひしが、御利運の日に當り、著しき霊験ありければ、是より世の人彌崇敬し、毎年正五九月には會式を興行すと見えたり、此餘さまざまの事を書綴れど、妄誕に亘れば取らず、本尊良辨の作は一尺七寸許の立像なる由、秘佛として人に示さず、前に智證の刻める一尺三寸の立像を安ぜり、
(西方村) 仁王門
門外に寛保四年の制札を立り、
新編武蔵風土紀稿 八條領 西方村 より

大聖寺の山門
山門は文化元年(1804)建立のもので、かつては瓦葺であったが、嘉永元年(1848)には銅板葺に葺き替えてあります。山門に掲げられている「真大山」の額は老中松平定信 (白河楽翁)の筆によるものです。
この山門は明治28年7月の火災を免れた唯一の建物で、七堂伽藍を備えていた江戸期の大聖寺を窺わせる貴重な建造物です。
越谷市公式ホームページ > 文化財  > 大聖寺の山門 より

境内各種説明板はこちら。

御朱印

仁王門

「真大山(しんたいさん)」の山号額

左右の金剛力士像

振り返って、絵馬掛所・おみくじ結び所

左・布袋尊、中央・なでぼとけ、右・大師堂、向かい側に絵馬掛所・おみくじ結び所があります。

中央・なでぼとけ(お賓頭盧さま)

参道

正面・不動堂、手前に狛犬、右に手水舎、左に地蔵尊

子獅子は居ないが、獅子山風。拡大写真はこちら。
(年代不明)

手水舎

ぴんころ地蔵尊

屋根上の飛び狛

不動堂・七福神

恵比寿天・大黒天

毘沙門天・寿老人。弁財天は鰐口にお顔が隠れて見えません。

福禄寿・布袋尊

境内