北本市石戸宿6-64 (令和6年8月29日)
東経139度30分30.65秒、北緯36度00分13.82秒に鎮座。
この神社は、圏央道・桶川北本ICの北西1.5km程の辺り、石戸宿の街中に鎮座しております。
御祭神 菅原道眞公
由緒
荒川の東沿いに位置する石戸宿は、戦国期には、河越から鴻巣・忍を経て上野国に至る街道と、岩付城へ至る街道上の要地に当たっていた。地内には、太田道灌が岩付城の支城として築いたとも、扇谷上杉氏の家人八右衛門が在城したとも伝える石戸城跡がある。この城は別名を天神山城とも呼ばれていた。
太田道灌が、河越城を築いた際にも城の鎮守として場内に天神社を勧請したことを考え合わせると、当城にも同様に天神社が祀られたのであろう。当社は、かつて荒川の堤外地に祀られていたとされるので城が廃された時に、堤外に、堤外に祀られたとされるので城が廃された時に堤外に遷されたものが、移転を重ねた結果、現在地に遷されたと考えられる。氏子の口碑には「天神様は、荒川が流れを変える度に、三度も遷ってきた」とある。社蔵の、最後に現在地に遷座された時のものと思われる木札には「(梵字)奉改社地天満宮天下泰平国土安全之所 天明三癸卯歳(1783)三月吉祥日 別当梅林院 放光寺現在宜範」と記されている。
また、現在の本殿は、彫刻の裏に「宝暦癸酉八月」とあることから宝暦3年(1753)の造立である。この内陣には、天満天神座像が奉安されており、社蔵の木札には、「(梵字)奉刻天満大自在天神像 氏子繁昌守護 宝暦九歳次己卯(1759)十月摩訶吉祥日 別当放光寺」と記されている。
石戸宿の歴史は古く、鎌倉街道に沿って中世期から開かれていたという。また、江戸時代には、石戸領20村の本郷といわれ、末期には毎年3月2日・5月2日・7月11日・12月27日の4回、市が立ち賑わっていた。
街道に沿って民家が立ち並ぶという典型的な宿場の景観を今に伝えている。また、昔は道路の中央に排水溝が設けられていたという。
天神社は、江戸時代の中期頃に石戸宿の鎮守として勧請されたと言われ、祭神は菅原道真である。
祭礼は、2月25日・10月15日(現在は10月第2週の日曜日)で、この日には「ささら獅子舞」(市指定文化財)が奉納(上演)される。
境内由緒書き より。
参道入口
鳥居
境内
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(石工 桶川町 横田良助 昭和16年(1941)2月25日建立)
本殿覆屋
石祠や境内社