須賀神社

北本市荒井1-353 (令和6年8月29日)

東経139度30分55.21秒、北緯36度01分09.49秒に鎮座。

この神社は、JR高崎線・北本駅の西南西2km程の辺り、荒井の飛地に鎮座しております。

御祭神 素戔嗚尊・木花開耶姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊・倉稲魂命・天照大御神・那智事静男命・面足命・惶根命

由緒
須賀神社は、天正年間(1573〜1591年)の勧請と伝えられ、「荒井の天王様」とも呼ばれている。
明治6年(1873)4月、荒井村村社に列せられ、大正年間には、村内の浅間社・橿城神社・神明社等を合祀しており、祭神は、素戔嗚尊の他・木花開耶姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊・倉稲魂命等が祭られている。
祭事は、節分祭(2月3日)・夏祭(7月14日〜16日)・冬至祭(12月22日)で、特に夏祭は、神輿・山車が出て盛大に行なわれる。

『埼玉県地名誌』によれば、鎮座地の荒井は、古くは新井とも書き、開墾集落を意味する地名であるという。江戸期、隣接する諸村との間で、秣場をめぐる論争が長期間にわたって続いた。元禄10年(1697)の「秣場論所裁許状」(矢部家文書)によれば、その原因は、かつて当村・石戸村・下石戸村・高尾村の四か村が一村であったのを分村し、村境が複雑になったためであるという。ここでいう一村とは中世の石戸郷を指すと思われるが、分村の時期については不明である。
当社は旧荒井村の北端に鎮座している。江戸期は社名を牛頭天王社と号していたことから、現在も地元の人々から「天王様」と通称されている。『明細帳』には「創立ハ天正年間(1573-91)ナリト棟札アリシカ去ル明治11年2月火災ニ罹リ焼失ス」とあり、創建を天正年間と伝えている。『風土記稿』荒井村の項には「牛頭天王社 当村の鎮守なり 双徳寺持」とある。別当の双徳寺は、川田谷村(桶川市川田谷)天台宗泉福寺末で千手山慈眼院と号した。
神仏分離後、双徳寺は廃寺となり、当社は社名を須賀神社と改め、明治6年(1873)4月に村社に列した。明治11年(1878)2月には、社殿が焼失したが、同年中に再建された。その後、社殿が老朽化したため、昭和57年(1982)に現在の社殿が建立された。
境内由緒書き より。

神社入口

鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和3年(1928)3月15日建立)

左右の木鼻

拝殿内部

本殿覆屋


三峯神社

寿老人

石碑