北本市本宿2-8 (令和6年8月29日)
東経139度32分26.56秒、北緯36度01分39.05秒に鎮座。
この神社は、JR高崎線・北本駅の東南東300m程の辺り、本宿の街中に鎮座しております。
御祭神 菅原道眞公
由緒
北本宿は、慶長7年(1602)に鴻巣宿に宿駅が移るまでは中山道筋の宿場であった。江戸時代の元宿村(明治22年に北本宿と改称)は、宿場の中心部に当たり、当社はその鎮守として祀られてきた神社である。
元宿村の名主は、「機屋」の屋号を持つ岡野家で、当主の正家で25代を数える旧家である。同家は、初め氏神として稲荷社を祀っていたが、そこに寛文2年(1662)ごろ、領地安全と領民の無病息災・五穀豊穣を祈願して、京都の北野天神社の分霊を勧請して祀ったのが、当社の始まりであると伝えられる。したがって、当社は元宿村の鎮守であると同時に岡野家の氏神でもあったため、この岡野家やその分家では邸内に氏神を祀っていない。
江戸時代には、当社の東南に隣接する多聞寺の持ちとして、同寺の管理を受けていた。『風土記稿』元宿村の項に「天神社 多聞寺持」とあるのはそうした状況を示すものである。この多聞寺は、多聞律師が文永年間(1264-75)に創立したと伝えられる真言宗の寺院で、本尊は毘沙門天である。神仏分離の後は同寺の管理を離れ、明治6年に村社となった。太平洋戦争後、社殿の老朽化が目立ってきたため、中丸小学校の奉安殿を移築して本殿とした。本殿の御扉に菊の紋が入っているのはそのためで、拝殿も昭和43年に再建された。
境内由緒書き より。
参道入口
参道
二の鳥居
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正15年(1926)11月25日建立)
拝殿内部
本殿覆屋
天圀藏五柱稲荷大神社鳥居
籠の中のお狐様
稲荷神社社殿
天五色辨財天大神社
三社大口真大神社
寶登山神社