北袋神社

北本市高尾4-107 (令和6年8月29日)

東経139度30分47.54秒、北緯36度01分44.08秒に鎮座。

この神社は、JR高崎線・北本駅の西1.6km程の辺り、高尾の街中に鎮座しております。

御祭神 天照大神・面足命・惶根命

由緒
『埼玉県地名誌』によれば、地名に「袋」が付くのは川沿いの低地に限られるという。北袋も荒川沿いの低地に位置することが地名の由来であろう。『元禄郷帳』に荒井村の枝郷としてその村名が見え、元禄15年(1702)以前には一村として成立していたことがわかる。
当社は、地内にそれぞれ祀られていた神明社・熊野社・橿城社(旧第六天社)の三社を新たな社地を切り開いて、大正6年(1917)1月25日に合併し、地名を冠し、北袋神社と号して成立した神社である。この三社のうち、創建の由来を伝えているのは橿城社のみで、口碑によれば、関ヶ原の合戦の落武者が当地に土着して祀ったものであるという。『風土記稿』北袋村の項には「神明宮 村の鎮守なり 地蔵院持、熊野社 同持」とあり、何故か第六天社の記述は見当たらない。
神仏分離後、第六天社は橿城社と改称し、明治4年(1871)に北袋村が荒井村の大字になると北袋の3社は無格社とされた。更に、明治22年(1889)に荒井村ほか四か村が合併して石戸村になると村内に村社4社、無格社17社を数え、合祀の話が持ち上がった。旧5か村では、それぞれの村社を守るため、大正5年(1916)に無格社のうち当地の熊野社と橿城社を含む4社を旧荒井村の村社須賀神社に合祀することが画策された。これに対して北袋では、熊野社と橿城社が他所へ合祀されるのを回避するため、合祀が行われる前に3社を合併したのであった。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和7年(1932)3月建立)

本殿覆屋


遠藤稲荷