駒形神社

加須市日出安 (平成19年12月16日)

東経139度35分21.39秒、北緯36度6分33.22秒に鎮座。

 この神社は新川右岸に鎮座していますが、赤松並木の参道が結構長く、途中に道路が横切っていました。境内には「日出安村扶助田記念碑が建ち、天保の大飢饉にも離村する者がでなかった。」とこの里の相互扶助の偉大さが述べられていました。

 御祭神:駒形大神
 例祭日:7月30日
 由緒:日出安の産土神で、江戸時代までは根古屋村金剛院が別当寺でした。南北朝時代の応安8年(1375)の記録に「武州崎西秀安駒形堂」と書かれているため、創建はそれよりかなり前と考えられます。
  一説には上杉謙信が騎西城攻略のおり病でなくなった愛馬を祀ったとも、陸前国胆沢郡(岩手県水沢市)にある、駒形神社の神様を分けていただたいともいわれています。
 江戸時代には金剛院が江戸幕府からいただいた、30石分の朱印地のうち、5石分が駒形権現社領に割り当てられていました。
 また、江戸時代の後半に書かれた新編武蔵風土記稿には「日出安村には稲荷社(字中)、八幡社(字川北)、神明社(字新道下)がある」と書かれており、明治20年(1887)に八幡社を駒形神社へ遷座し、明治40年(1907)には神明社と稲荷社を駒形神社に合併しています。

社号標 神社入口
参道の様子 境内入口の両部鳥居
日出安村扶助田記念碑
大正9年生まれの流れ狛犬
阿吽ともに玉を持っています。大きめの厳つい顔で、派手な渦巻きの鬣をしていますが、全体的に彫りが堅いようです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正9年(1920)10月建立)
拝殿 拝殿内に架かる社額
安政4年(1857)奉納の勧進相撲絵馬 本殿
青面金剛像 天満宮等の末社