玉敷神社

加須市騎西552 (平成14年12月29日)

東経139度34分22.56秒、北緯36度6分15.14秒に鎮座。

玉敷神社の御祭神は大己貴命外五柱で延喜式内社です。創建は不明のようです。古くは久伊豆大明神と称して、今では騎西の明神様とも呼ばれて親しまれています。この神社も藤の花が見事な様です。私としては狛ちゃんが3対も居てくれたので万々歳で〜す。

主祭神 大己貴命(別の御名 大国主神)

御由緒
当神社は第四十二代文武天皇の大宝三年(703)、東山道鎮撫使<多治比真人三宅麿>により創建されたと伝えられ(一説に第十三代成務天皇六年(136)、武蔵国造<兄多毛比命>によるという)、平安時代第六十代醍醐天皇の延長五年(927)に公布された、律令の施行細則「延喜式」の神名帳にその名を載せる、いわゆる「延喜式内」の由緒ある古社である。
以後、幾多の歳月を経て戦国時代に至り、天正二年(1574)越後の上杉謙信が当国に出兵の折り、当時正能村(現当町正能)に在った当神社はその兵火にかかり炎上、古文書・社宝など悉く失われた。従って、それ以前の神社の歴史は明らかではない。
江戸時代に入り、寛永四年(1627)の頃、騎西城主<大久保加賀守忠職>によって現在の地に
遷座、以来明治維新に至るまで、当神社は「勅願所玉敷神社久伊豆大明神」と称されて、埼玉郡(現南北両埼玉郡)の総鎮守、また騎西領四十八箇村の総氏神として尊崇され、厄除を始めとするその多くの御神徳は厚い信仰を集めていた。
この広範な領域に及んだ信仰は今日なお受け継がれ、二百年以上の昔から伝わる当神社独特の祓えの行事「お獅子様」を行う所は、当騎西町を中心とする県東北部の二十三の市町村並びに群馬・茨城両県の一・二の町の大字小字の地区にまで広がっている。
また、当神社には三百年を超える伝統を持ち、江戸神楽の原型を伝える文化庁選択・県指定無形民俗文化財「玉敷神社神楽」が保存され、年四回、祭礼の折りに素朴で優雅な舞を披露している。

平安時代に公布された「延喜式神名帳」にその名を載せる古社である。当社に伝わる江戸中期の記録によれば、元は正能地区にあったが、上杉謙信の関東出兵の際焼失した。その後、一時根古屋の騎西城大手門付近(現在の前玉神社)に移ったが、城内でたびたび出火するため、類焼をおそれて、この地に遷座したという。
当社はかつて、久伊豆明神とも称し、元荒川流域に数多く所在する久伊豆神社の本社的存在とも言われている。・・・・・
境内由緒書き より

明神大鳥居

参道

境内と拝殿

阿吽双方とも子持ち。阿の子は玉取り。これぞ江戸狛犬!の見本のようなお姿。

向拝の彫刻

本殿

の〜んびりホンワカ太めの江戸狛さん
親子揃って怒りの江戸狛さん

神楽殿