二宮神社

川口市西立野1110 (令和6年9月2日)

東経139度44分39.66秒、北緯35度51分29.38秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、東北自動車道・川口JCTの北東1km程の辺り、西立野の街中に鎮座しております。

御祭神 

由緒
当社は、元来は氷川神社と称し、立野村の鎮守として祀られてきたが、明治40年(1907)5月29日に長蔵新田の鎮守であった稲荷社を合祀したことを機に、同42年(1909)10月30日をもって二宮神社と改称したものである。地元で当社のことを「氷川様」と呼ぶ人が多いのはそのためで、合祀当時、氷川神社も稲荷社も共に社格は村社としたいため、こうした措置が取られたものと思われる。なお、この合祀は、村社にふさわしい神社へ規模を拡大する目的で行われたとの説もあり、合祀と同時に社務所が新設されたのもその企図に沿うものであったらしい。
江戸時代においては、当社の祭祀は別当の光明院が行っていた。光明院は本山派修験であり、当社の真東に位置していたが、幕末に住持の不始末が原因で廃寺となった。その後、光明院の子孫は「竜王」と名乗って加持祈祷を続けた。当社の参道入口の近くにある高山家はその末裔で、屋号を「光明院」という。
一方、光明院の廃寺後は、安行領家の大塚家が祀職を務めた後、明治の中ごろに戸塚の豊田初太郎が社掌となり、 大正時代に中山富士雄がその後を継ぎ、昭和47年(1972)からは豊田功が宮司となった。
境内由緒書き より。

境内

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)