羽盡(はぞろ)神社

川口市芝5379-1 (令和6年9月13日)

東経139度41分56.08秒、北緯35度50分07.98秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR東北本線・蕨駅の北北東1.5km程の辺り、芝の街中に鎮座しております。

御祭神 羽明玉命

由緒
当社の鎮座する芝は、「芝郷」の名で中世には既に開けた地であった。また当社神宝として伝えられる「秋草双雀鏡」(指定文化財)が、南北朝期の作とされることは、創建の古さを物語るものである。
この神鏡の鏡面には「奉献神器/武蔵國足立郡芝阜社號/羽盡-此云波曾呂比-大明神乃羽/明玉神也縁起之書先年/遇池魚之殃予恐後人竟/失神号因録之如此而巳/維時/建武弐歳舎乙亥/春三月十五日/大仲臣實氏敬白」の銘文が刻まれている。ただし、銘文にある「芝阜」の地名は戦国期から見えるものであることなどから、これは建武2年(1335)より後になって刻まれたものとされる。
当社は、天正19年(1591)、この前年、関東に入国した徳川家康から社領として15石の朱印地を与えられた。ただし、朱印状には記されていないが、この内の5石が、往時当社神職であった関口氏が兼務していた同村の氷室社の社領になっていた。なお当社には、歴代の将軍が社領を安堵した12通の朱印状が残されている。
本殿は、江戸期に武蔵国一宮氷川神社から移築したと伝えられ、拝殿は、元治元年()1864)の再建とされる。平成元年(1989)4月、社殿の老朽化に伴い本殿の修理並びに拝殿と祝詞殿が新築された。

当社は、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、「羽曽呂社は、本郡の古社にして祭る所羽明玉命なり、日本書紀に須佐之男命将昇天時有一神号羽明玉此神奉迎而進以端八坂瓊之曲王故須佐之男命持其瓊玉而之於天上也と一書の文を載せたり、されど鎮座の年代等は詳かならず、天児屋根命太玉命の二座を祭れる社なりと未だ何れが正しとすることを知らず。今神体とする所は径六寸の円鏡にて、建武2年(1335)の銘文あり」と記されています。
社領の御朱印状は、徳川家康が天正19年(1591)に発給、武州足立郡大明神社領として15石を安堵したものにはじまり、以来の将軍により、社領は朱印地として安堵されてきました。このことからも本社が旧芝村の鎮守としていかに格式のあるものであったかを知ることができます。
境内由緒書き より。

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(平成2年(1990)3月吉日建立)

神額


境内社

浅間大神・御嶽神社等

厄落し場所