女體神社

春日部市梅田1-2-31 (令和3年3月26日)

東経139度45分04.54秒、北緯35度58分58.21秒に鎮座。

この神社は、東武伊勢崎線・北春日部駅の南南東600m程の辺り、梅田の街中に鎮座しております。

御祭神 伊邪那美尊

由緒
日光街道粕壁宿の北に位置し、周囲を大落古利根川と古隅田川に囲まれた低湿地である。この梅田の地名は、「埋田」の意である。梅田東・梅田西・新田の三つに分かれており、当社はそのうちの梅田東の鎮守である。
醍醐天皇の延喜元年(901)の創立で、当時、梅田に住んでいた織部という人が、村内の子供が幼くして亡くなることが多かったことを憂い、子供が健やかに育つようにと天神に祈願し、国生みの神である伊邪那美尊を産土神として祀ったのが当社の起源。古隅田川の北岸の最も高地に当たる場所(現在地)に神殿を造営し、祭事を行うようになったという。また、元和8年(1622)に二代将軍徳川秀忠が始めての日光社参に際し、街道筋の由緒ある社寺を訪ねた時、当社にも金千疋の寄付があり、以来、近隣の信仰を集めて大いに栄えたと伝えられる。・・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

参道

境内

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿


稲荷大明神 天満宮
猿田彦大神 浅間神社

石碑