春日部市南3-18-17 (令和6年9月9日)
東経139度45分57.39秒、北緯35度58分02.16秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、東武スカイツリーライン・一ノ割駅の北北西700m程の辺り、南の街中に鎮座しております。
御祭神 誉田別尊・息長足姫尊・武内宿禰
由緒
旧粕壁宿には三社の八幡神社が祀られている。当社はそのうちの一社で、「元新宿の八幡様」と呼ばれている。
口碑によれば、正親町天皇の御代、天正2年(1574)4月に北条氏の家臣関根家が常に信仰していた宇佐八幡宮の分霊を勧請して建立したことに始まり、神霊を迎えるに当たって、関根図書助が強弓を放ち、その矢の落ちた所こそ神慮に叶った所であるとして、この地を選んだという。
関根図書助については『風土記稿』粕壁宿の旧家者九佐衛門の条に、先祖は某郡内関根村を領したことから関根を称し、その後、真蔵宗氏なる者が兵乱を避けて当所に来て隠棲した。宗氏の没後、その子が父の菩提のため、墓所に庵室を結んで真蔵庵と名付け、後に真蔵院として一寺となった。真蔵宗氏から数代を経て元亀4年(1573)に関根図書助が「糟ヶ辺」の合戦で戦功を立てたことにより、北条氏繁から感状を賜ったという。関根村とは、現在の行田市関根である。また、同書に当社は「八幡社二宇 真蔵院持」とあり、真蔵院持の一社として記されている。また、もう一社は、江戸初期に粕壁宿が日光街道の宿駅として定められ、字新宿(元新宿)の住民の多くが町並の新宿組に転居した際、そちらに祀られた八幡社(下の八幡様)である。当初の南にあった真蔵院も同時期にこの八幡社の隣接地に移転した。
境内由緒書き より。
神社入口
拝殿
神額
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
猿田彦太神
青面金剛