香取神社

春日部市一ノ割1-30-4 (令和6年9月9日)

東経139度46分03.36秒、北緯35度57分34.90秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、東武スカイツリーライン・一ノ割駅の南西200m程の辺り、一ノ割の街中に鎮座しております。

御祭神 経津主神

由緒
大落古利根川と元荒川の間の平野に広がる農業地域の一角に位置する一の割は、古くは「市野割」もしくは「一割目」ともいい、地内にある円福寺の住職祖岌が文禄元年(1592)に書き記した同寺の縁起によれば、岩付城主太田氏の家臣井上将監が岩付城の落城後に当地で帰農したと伝えられる。当社は、創建の年代は明らかではないが、前述の円福寺の縁起には、元は新方領の総鎮守で、行基作の十一面観音を本地仏として祀ることや、享徳3年(1454)に、末太郎という者が奇異の霊護を蒙り鰐口を寄進したこと、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことのなどが記されている。
一方、『風土記稿』市野割村の項には、これらの話と共に、「一の割の村内にある堤は、かつては『江曾堤』とも呼ばれ、当社はこの堤の上に鎮座していたが、当地を開発した井上将監と大熊弾正という者が力を合わせて現在の境内地に引き移した」という話も見える。ここにいう「江曾堤」は、当社の西300mほどの所にあったが、今では小高い盛土に面影をとどめるばかりとなっており、『明細帳』によれば当社がそこから現在の社地に移ったのは天正年間(1573-92)のことであるという。また、前述の鰐口は、昭和10年代(1935〜)に盗まれてしまったが、『風土記稿』の挿図から「享徳3年(1454)本願末太郎 新方壮一披目香取大明神鰐口」の銘があったことがわかる。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬


諏訪神社

諏訪神社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

天神社

天神社を護る狛犬

浅間神社

石碑