越生神社

入間郡越生町越生1015 (令和7年2月8日)

東経139度17分50.07秒、北緯35度57分32.28秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR八高線・越生駅の西500m程の辺り、越生の街中に鎮座しております。

御祭神 大物主命

由緒
越生神社は明治42年(1909)に、神社合祀令を受けて、琴平神社に、旧越生村村社八幡神社、日吉神社、八坂神社、旧黒岩村村社の八坂神社、ほか市街地に点在していた稲荷社数社を合祀して造営された神社である。7月下旬に催される「越生まつり」は、牛頭天王を祀る八坂神社の祭典、祇園祭(天王様)の伝統を受け継ぐ祭礼である。神社を出立した神輿が街なかを渡御し、夕刻から曳行される6台の山車の上では、神田囃子の流れを汲む囃子の競演が繰り広げられ、華やかな江戸天下祭の名残を今に伝えている。
神社の奥宮がある高取山には中世の山城跡がある。標高約170mの頂上は平らに削られ、空堀と土塁で画された数段の郭(曲輪)が残されている。絹会館が立つ一画が館跡に比定されている武蔵7党児玉党越生氏が、「物見砦」や「詰の城」として築いた可能性がある。江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には「越生四郎左衛門屋敷跡」と記されている。越生四郎左衛門は南朝の北畠顕家を討ち取った、『太平記』に登場する越生一族の武将である。
また、現存する遺構は、太田道真・道灌が活躍した室町時代後半から、戦国時代にかけてのものとみる見解もある。
境内由緒書き より。

社号標

神社入口

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正6年(1917)建立)


石燈籠