金鑚(かなさな)神社

本庄市千代田3-2-3 (令和元年5月1日)

東経139度10分48.57秒、北緯36度14分24.32秒に鎮座。

この神社は、JR高崎線・本庄駅の北西1km程の辺り、千代田の街中に鎮座しております。

御祭神 天照皇御神・素戔嗚尊・日本武尊

由緒
本庄の市街地の中心部を東西に貫く県道勝場・本庄線は、かつての中山道である。日本橋から10番目に当たる本庄宿は、中山道最大の宿場であった。宿場の西端近くに鎮座する当社は、本庄宿の総鎮守として広く知られている。
社記によれば、当社の創建は欽明天皇の2年(541)のことで、社地は日本武尊がかつて駐軍した古跡であるという。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つである児玉党の武士によって信仰され、とりわけこの地を在所とした本庄氏の崇敬が厚かった。
降って天正18年(1590)、徳川家康の関東入国に伴い、小笠原掃部大夫信嶺が本庄城主となったが、同氏もまた当社を厚く崇敬し同年9月に本庄城に入るや翌10月には当社の社殿に装飾を加え、武運長久を祈願している。小笠原氏は、信嶺の猶子信之の代に下総国(現茨城県)古河城に移封され、更にその嫡男の忠貴は関宿城に忠貴は本庄城で生まれた縁故により、当社への信仰が特に深く、寛永16年(1639)に社殿の改築を行った。天然記念物として保護されている三本の神木(楠・榧・樅)はこの時植樹されたもので、忠貴はほかに自筆の額や祈願状(市指定文化財)を奉納している。
当社は明治5年(1872)に村社になったが、由緒があり信仰圏も広い故をもって、同17年(1884)に県社に昇格した。
境内由緒書き より。

神社入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正9年(1920)11月建立)

市指定文化財の大門

拝殿

拝殿内部

本殿


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