白山神社

羽生市上新郷7295(平成19年1月28日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、羽生妻沼線を羽生方面に向かい、上新郷地区、利根川堤防の近くにあります。社殿は小さいです。明治○○年の狛犬が迎えてくれました。安政7年の庚申塔があります。

 この社にも案内板が無く、創建などは不明ですが、加藤清正がこの社を創建したという伝説が残っているので、江戸時代初期に勧請されたのかも知れません。
 伝説によると、清正が徳川家康の命によって築城の為江戸へ出向いたおり、先に館林城主・榊原康政の三男に嫁いだ娘に会いに館林へ寄り道をしました。その帰り道、清正は利根川を渡っているときに高熱を出し、慌てた家来たちは休ませる場所を探しました。ところが、辺りには民家などはなく困り果てていたとき、焚き火をしている白髪の老人に気付きました。老人が言うには「私はここを通る旅人たちの疲れを癒すため、お湯を沸かして差し上げています。」喜んだ清正は釜の中のお湯を一杯飲むとみるみる元気を取り戻し、老人にお礼を言って、再び江戸へ向かって出発しました。ところが、その旅の途中輿の中でまどろんでいると、あの白髪の老人が現れました。「私は白山権現である。この先お前の馬が病死するだろう。気を付けなさい。」老人はそう言うと、すっと消えてしまいました。清正は目を覚まし、周囲に目を走らせましたが、白髪の老人はどこにもいません。その後清正一行が屈巣村(現川里村)に差し掛かったとき、元気だった清正の愛馬が突然病に罹り、あっと言う間に死んでしまいました。
――あれは夢ではなかったか!
清正は来た道を引き返し急いで老人のいた場所まで戻りましたが、誰もおらず焚き火の跡さえありませんでした。そこで、白髪の老人が白山権現であったことを知った清正が老人のいた場所に佩刀を埋めると、白山神社を祀ったということです。(クニの部屋 −北武蔵の風土記−より)
 この社はその後昭和34〜35年に遷座され、清正がこの社を創建したという伝説が残る地とは別の場所に移っています。又、利根川堤防の改修により、近年中にまた遷座する予定だそうです。

神社入口 境内の様子
台座に明治39年正月吉日建立と書かれた一対ですが、写真で見ると阿吽の容姿、
石の材質、磨耗度が大分違うので、この神社内にあった物か、他所から運んできた物を、
一体ずつ組み合わせたのではないかと思われます。
阿は江戸流れの標準タイプで良くできた物ですし、
吽はヘタウマというか、味があるというか、個性的な面白い狛犬です。
(明治39年正月吉日建立)
社殿 社殿正面の扁額「白山神社」
末社・稲荷宮 安政7年(1860)建立の庚申塔