鷲宮神社

羽生市下村君 (平成23年1月28日)

東経139度35分2.41秒、北緯36度11分57.53秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、県道304号線を北上、途中、右折して進んだ下村君地区にあります。隣が公民館です。文政6年(1823)のがっしりとした狛犬が迎えてくれまし た。境内の弁天社のそばには藤の古木があります。

鷲宮神社と古藤の由来
鷲宮神社の御手洗の池に、市杵島姫命を祭る弁天社があります。このお宮は、七福神の一人弁才天と付会され、人々から厚く崇拝されてきました。池のほとりにある古藤は、弁天社の創建のころ植えたと伝えられ、明治十七年(1884)の記録に、数千年を経たもので風景すこぶる美観とあります。
鷲宮神社(横沼神社を合社)は、祭神を天穂日命といい、古墳の上に建てられました。2142坪の境内地には、四個(他に一個出土している)の礎石があり、社殿がたてられていたことを物語っています。また、付近から鎌倉時代の屋根瓦の破片が出土しており、社殿の修理か造営が行われたものと思われます。横沼神社は、彦狭島王の子御室別王の姫を祭ったもので、樋遺川村の御室神社へ「お帰り」という里帰りの神事が、明治の末期まで行われてきました。由緒の深い神社です。ちなみに、村君の地名が文献に現れるのは、応永年間(1394〜1427)で、文明十八年(1486)京都聖護院二十九代の住持を務めた道興准向(准后?)が村君の里を訪れ、「たか世にか 浮れそめけん 朽はてぬ 其名もつらき むら君の里」
とよんでおります。荘厳な鷲宮神社や永明寺を拝し、古墳を訪ね、栄えていた村君の里をしのんで歌われたものです。現在、藤は羽生市の花として市民に親しまれています。
境内由緒書より。

准后(じゅごう)とは、太皇太后、皇太后、皇后の三后に准じた皇族・貴族の称号。宣下されると臣下でありながら皇族同等の待遇となる公家の頂点の位の一つ。准三后(じゅさんごう)、准三宮(じゅさんぐう)ともいう。
ウィキペディアより

神社入口

拝殿と狛犬

尻尾や鬣の彫りが浅いが、がっしりと逞しい、拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(文政6年(1823)建立)

扁額

拝殿より見る本殿正面

本殿覆屋


市杵島姫命を祭る弁天社と古藤。由緒書に「このお宮は、七福神の一人弁才天と付会され・・・」とありますが、市杵島姫命は明治になって差し替えられた御祭神で元々弁才天を祀る弁天社であった筈です。

末社