熊野大神社

深谷市東方(平成21年2月6日)

東経139度18分54.34秒、北緯36度11分32.08秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、原郷熊谷線を原郷方面に向かい、東方交番信号を過ぎて間もなく、道路沿い右側に鳥居があり、そこから長い参道が続いています。昭和62年の狛犬が居りました。本殿が市指定文化財となっています。

古くより小さな社があり、東方という地名もこの社から生まれました。天文(1532〜55)の頃、深谷上杉三宿老皿沼城主、岡谷加賀守清英がこの地方を領し、熊野大神社を深く崇拝し、社領を寄進し、今でも熊野免という年貢を免除した土地があります。同じく三宿老の一人、上野台領主秋元但馬守景朝、その子越中守長朝は、当社が上野台の館の東北にあたっているので、城の守りとして崇敬し、天正年間(1573)に当社の社殿を造り、現在本殿正面の桁に家紋が彫刻されてあります。天正十八年(1590)徳川家康、江戸入城後、松平丹波守康長が東方城主となりましたが、当社を信仰、社領を免除しています。
深谷上杉顕彰会

当地は古くから開かれた土地であり、地内は家型埴輪が出土した古墳期の森末古墳、奈良期から平安期にかけての堂明様遺跡などが知られています。当社の創建について、社記に−延長五年(927)この地に枇杷の木を棟木にして小祠を建て上野国碓氷郡熊野本宮より奉遷し東方村と号す−とあります。
御祭神は伊邪那美命・速玉男命・事解男命の三柱です。
現在の本殿は上野台の領主萩元但馬守景朝、その子秋元越中守長朝が、当社が館の東北にあたっている事から城の守り神として崇敬し、天正年間(1573〜1592)に当社に社殿を寄進したものであり、本殿正面の桁に秋元家の家紋の彫刻が施されております。
文政ニ年と平成十一年の大修理を経て今日にいたっております。本殿は昭和三十四年十一月三日に深谷市の指定文化財に指定されました。
中仙道から一の鳥居をくぐって約300mの参道に入ると両側に奉納された三十九基の石灯籠が続き二の鳥居を過ぎ四百五十二本の玉垣に囲まれた境内地に進むと右側に樹齢350年のご神木の大欅がそびえています。
三の鳥居をくぐり本殿西側を進むと、氏子の皆様に献木していただいた450本のヅツジ林があります、更に歩くと北に上毛三山を一望出来る大パノラマが開けます。
主な祭事は春の大祭(4月15日)・秋の例大祭(10月15日)です。
幡羅小学校児童による浦安の舞いの奉納・入木節の奉納など次代を担う人々の参加は心強いものがあります。又、初詣は年ごとに参拝者が増えており大変な賑わいです、大晦日に「おたきあげ」の火を囲んで甘酒を戴きながら新年を祝う人々の輪は、平和のありがたさを実感させる美しい光景です。元旦は社務所で初釜を催しております、気取らない茶席です新年はぜひおいで下さい。
当社の氏子数は850戸、また崇敬者は2000人位です。
宮司 栗原時雄

参道入口

参道

境内入口と「熊野大神社」の社額

拝殿

拝殿前の昭和狛犬

拝殿の彫刻と社額

市指定文化財の本殿

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