深谷市下手計1145 (令和7年1月26日)
東経139度16分07.18秒、北緯36度13分46.07秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR高崎線・岡部駅の北北東4km程の辺り、下手計の街中に鎮座しております。
御祭神 武甕槌尊
由緒
下手計の鎮守社で、拝殿には渋沢栄一揮毫になる「鹿島神社」の扁額が掲げられている。
境内には、栄一の師である尾高惇忠の偉業を称える藍香尾高翁頌徳碑が建立されている。
この碑の篆額は徳川慶喜公の揮毫である。また、撰文は三島毅文学博士(号 中洲)、書は日下部東作(号 鳴鶴)によるものである。
今では朽木となったが、大欅根本に湧いた神水で共同風呂が設けられていた。栄一の母、栄は、これを汲み、らい患者の背を流したと伝えられている。
栄一手植えの月桂樹と長女穂積歌子が植えた橘があり、その由来を記した碑がある。
創立年代は不明だが、天慶年代(10世紀)平将門追討の際、六孫王源経基の臣、竹幌太郎がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられる。以降武門の守とされ、源平時代に竹幌合戦に神の助けがあったという。享徳年代(15世紀)には上杉憲清(深谷上杉氏)など7000余騎が当地周辺から手計河原、瀧P牧西などに陣をとり、当社に祈願した。祭神は武甕槌尊で本殿は文化7年(1810)に建てられ千鳥破風向拝付であり、拝殿は明治14年で軒唐破風向拝付でともに入母屋造りである。境内の欅は空洞で底に井戸があり、天然記念物に指定されていたが、現在枯凋した。尾高惇忠の偉業をたたえた頌徳碑が明治41年境内に建立された。
境内由緒書き より。
参道入口
参道と拝殿
参道左右の狛犬
神額
本殿彫刻
大黒天
藍香尾高翁頌徳碑